2010/02/23

2010.2.23 -37 「ハンナは私の守護天使 ~ そうだ、私も守護天使になろう! ~」
 ハンナは,いつも私をベランダから見守っていました。今でも,ガラス越しに部屋を覗いているハンナが,そこにいるような気がします。
 “ペットロス”という言葉を耳にしたことがありますが,私の心境はそれとは全く違います。むしろ,ハンナはペットではありません。失った悲しみがないと言えば嘘になりますが,むしろ生前より以上に“いつでもそばにいるハンナ”を感じて,心が休まります。

 「そうだ!ハンナは天に召されて,“私の守護天使”になってくれたんだ!」と,今朝閃きました。でも,本当は,生まれた時から“私の守護天使”だったんです。
 「ハンちゃん,今まで気がつかなくて,本当にごめんなさい。」

 「そうだ!私も守護天使になろう!」今度は,私が牛たちの守護天使になる番です。

 これで,「清々しく明らめる」ことができました。

2010/02/22

2010.2.22 -38 「あれから10年経ちました ~ ようやく始末できたような気がします ~」
 平成12年2月2日,この日を境に人生が大きく変わりました。「ろくでなし!」だったか「甲斐性なし!」だったかも忘れましたが,当時44歳で組織(部門)の最高責任者になっていた私は,母に言われたという事実に対し,自分でも驚くほど冷静に,応接用の椅子から私を見下ろしている母の前に正座して「そのとおりです。」と頭を下げました。それ以来,母とは心が通わなくなりました。

 その後は,父の死(平成13年1月2日),日本初のBSEを確認(平成13年9月10日),組織内の不祥事発覚(平成14年5月)と立て続けに渦中の人となり,あれから10年,結局母のいう通り「禄でなし(=禄がなくなる)」になります。当時は「意気地がない人間」だと思っていましたが,今は「自分の意思でろくでなしになって(意気地があって)」良かったと思っています。

 大変残念なのは,そんな私を支えてくれた家族の一員である愛犬の“ハンナ”が,去る2月19日(金)午前11時に天国に旅立ったことです。どんなに心が傷ついた人間に対しても,変わらぬ態度で接してくれるハンナに救われて,ここまで来ることができたような気がします。しかし,私のゴールが近づいた今,自分の役割を終えたことを察したように,自分から天国へ行ってしまいました。
 平成11年11月11日生まれ(11日は適当に決めました)のハンナは、天寿というにはあまりに短い生涯でした。“その道のプロ”である私が、何もできなかったことも残念でした。しかし,“生きて死ぬ”ことに他人は手を出せないことを,ハンナは教えてくれたのです。

 ハンナの生き方,そしてハンナの死は,私のこれからの人生に大きな教訓を残してくれました。「ハンナ,ありがとう!」

 10年経って母も80歳を超えましたが,産みの親に全人格を否定されたことを,私は未だに忘れることができません。しかし,ハンナの死を機会に,今までの10年間の始末ができたような気がします。母の言葉はおろか,母の存在も遠くに離れていくようです。

 あと38日で,この生活が終わります。一つ一つ片付いていく,その後に新たなスタートがあることを信じて,今までの10年を忘れます!