2006/04/29

2006.4.29 -1432 「アクアライン経由のバスは便利!~だが、東京は人もクルマも大渋滞~」
 昨日、2週間ぶりに東京に帰って来ました。職場を早く出たので、袖ヶ浦バスターミナルから6時台の品川行きに乗ることができました。乗ってわずか15分で東京都の看板を通過!しかし、都内の首都高速は全部真っ赤の渋滞マーク。“空港中央から飯田橋まで90分”という表示が出ていたので、予定時間(50分)から大幅に遅れると思っていたのですが、品川行きは大井南で一般道に出るので、1時間ちょっとで到着。ホッとしたのもつかの間、品川駅は人人人の大混雑!
 山手線では、運良く目黒から座れたものの、混んでいる車内で立ったままノートパソコンを開いている人や、酔っ払ってしゃがみこんでいる人など、たった1ヶ月弱通勤地獄から離れていただけで、耐えられない不快感を感じました。
 高田馬場からの西武新宿線急行はもっと混んでいて、発車前のホームからすでにラッシュ状態。肩から大きなブリーフケースを掛けたまま週刊誌を読んでいる中年(50代?)を見るにつけ、不快感はピークに達しました。
 小学校から高校までの12年間と先月までの18年間東京のラッシュを経験してきたのですが、わずか1ヶ月のブランクでギブアップ!東京に帰ってくるのが億劫になりました。

2006/04/28

2006.4.28 -1433 「浜でお宝ゲット!~海岸は宝の山?~」
 毎朝、赤い帽子・赤いジャンバースタイルでゴミを拾って、半月以上になります。今までに、ゴミの他に龍の骨?とか石鹸台など、面白いものや使えるものを拾いました。が、今週ついに本当のお宝をゲットしました。
 それは、“-”の部分です。といっても、意味不明ですが、銅線で“101”と“1”は作ってみたのですが、どうしても“-”がうまく作れなくて、ドアの住居表示の製作を中断していることは、前にお話しました。ところが、海岸で“-”を見つけたのです。それは、渋い緑色のウニかヒトデの抜け殻?なのですが、“101“と“1”の間に入れる“-”の代わりになる“・”印としてすばらしいデザインでした。
 早速、“・”前後の数字を、銅線を曲げて作り、水曜日の朝、ドアに接着しました。覗き窓と“・”の位置を一直線に揃えたので、数字が真中に配置できず、ややバランスに欠けていますが、それでも、そのデザイン感覚の欠如をものともせず、“・”の存在が光っています。まさに“海の家”である居南無 風流家にふさわしい“・”です。
 それから、実はもう一つ、お宝をゲットしたのですが、これは秘密です。砂だらけだったので、きれいに洗ってしまってあります。1ヶ月足らずで、こんなに楽しい思いをさせてくれる保田の海岸は、まさに宝の山です。

2006/04/24

2006.4.24 -1437 「ドアはインディゴブルー ~ポストに居南無 風流家~」
 土日は、風流家でじっくり作業をしました。土曜が好天、日曜が雨との予報だったので、土曜日に玄関周り、日曜日に部屋の中で大工仕事と予定を立てて...
 土曜日は、春には珍しくすばらしく澄んだ空気で、富士山と伊豆大島が一日中くっきりはっきり見えました。早起きしてバイクで風に当たってきました。それはそれは、良い気分でした。さらに、志駒もみじロードという千葉県一のワインディングロードをゆっくり走って、マイバイクのラストランを楽しみました。
 実は、もう一台、バイク屋に1年以上動かないまま預けてあるバイクがあり、それを生き返らせるために、今のバイクを売る事にしたのです。
 午前中、目一杯遊んだので、午後は仕事です。前日にインディゴブルーの塗料を買っておいたので、早速塗ってみると、思ったより薄く明るい色だったので、ちょっとがっかり...しかし、全体を塗って、乾いてから見てみると、まぁ普通の青よりはまとものような気もしてきました。
 その後、ポストを磨いて、先週作った紙製の表札を貼って玄関周りは一応完成!本当は、ドアに住居表示(101-1)を付けたかったのですが、どうしても“-”の部分がうまく作れなくて、作業を中断しているので“一応”の完成というわけです。
 日曜日は、予定通り雨。2回の洋間を作業場にして、インターネットオークションで手に入れた電気ノコギリとドリルドライバーを駆使して、パソコンのテーブルと電子レンジの台を作りました。我ながらうまくできたと思いましたが、部屋に散乱(充満?)したノコ屑に気がついて呆然!製作時間より後片付けに時間を費やして、結局終了したのが午後8時。へとへとになって2日間の休日が終わってしまいました。

2006/04/16

2006.4.16 -1445 「名刺?~表札のようなものをデザインする~」
 週末の作業として、買出しと表札づくりをしました。
 買出しは、ドアの上塗りとして選んだ油性ペイントに紺色がないので、完結しませんでした。
 表札(ポストに貼る住居表示)は、Hot a Cleaner のトレードマークである赤い帽子を、デザインに取り入れようと思いましたが、絵心がないので、断念。結局、自転車でエアストリームを引っ張る有名な絵をパクリました。
 メインは“居南無 風流家”のロゴですが、これを「きょなん、フルハウス」と読んでもらうための工夫が必要です。英語表記ではどう書くのか?よくわかりませんが、Kyonum Fullhouse にしました。Kyonann は、ローマ字表記ですが漢字の読みとしては無理があります。むしろ、autumn のように Kyonumn とした方が、読みとしては一番近いかも? とにかく、“無”には m を当てたかったのです。
 まぁ、今度は、漢字で住所も名前も書きましたので、配達する人には親切だと思います。でも、ちょっと見は、大きなサイズの名刺のようで...いっそのこと、このデザインで名刺を作ろうかな?

2006/04/15

2006.4.15 -1446 「テレビのある生活は時間がない!~テレビがないから見えてくる~」
 二週間ぶりに東京に帰ってきました。久しぶりに、JEF千葉のテレビ中継(MXテレビ)があるので、午後4時から、テレビでサッカー観戦。それからは、テレビの前から離れられなくなりました。
 結局、寝るまでテレビ漬け。このパターンは週末の定番で、今までは何の疑問も感じませんでした。しかし、テレビのない風流家の週末を体験したら、テレビに時間を吸い取られてしまっているこの生活には、「明日を考える時間がない。」ことが、よくわかります。
 何もないと、「明日は、何をしよう?」と考えます。それに、日中は何か仕事をして体を動かしていますから、遅くない時間に眠くなってきます。「明日は、起きたら、〇〇をしよう!」と思いながら、眠りにつきます。実に、健康的な週末です。
 来週は、風流家の玄関ドアを紺色に塗って、ポストをリニューアルして...テレビがないから、やることがいっぱい!です。
2006.4.14 -1447 「表札を出す~居南無 風流家を掲げられず!~」
 仕事に少し慣れてくると、仕事が増えてくるものです。で、帰りが遅くなる。食べて寝るのがやっと。という状態が続き、ついに4日間も空けてしまいました。
 5日ぶりに書いているわけですが、どうも筆が先に進みません。
 
 風流家の玄関は、ドアがサビ止め塗料で赤錆色になったままです。それでも、離れて見れば、以前のサビだらけの白いドアよりはずっとまし。ですが、右側には、以前の表札を剥がした後がくっきり。左側のポストはステンレスですが、なんとなく不恰好というか殺風景なデザインです。
 そこで、仕事で使っていた、アリスの“猫”の下敷きを、表札代わりにしました。金色のバックに黒い目つきの悪そうな猫の絵。とても、表札のようには見えませんが、余白(余金?)に油性マジックで、名前と住所を書きました。
 本当は、“居南無 風流家”と書きたかったのですが、下敷きのデザインは“黒猫と英語の文字”なので、感じはちょっと似合いそうにありません。それに、居南無 風流家は、地元の人には、全く理解してもらっていませんので、いきなり書いても...は、言い訳で、やはり少し恥ずかしいのです。
 ドアに「101-1」の住居番号を貼った後、ポストをリニューアルする時、“居南無 風流家”をデビューさせるつもりです。

2006/04/10

2006.4.9 -1452 「夕方の浜で~太陽をお見送り~」
 金曜(7日)の夜に、女房が保田に来ました。「私がどんな暮らしをしているか、女房は心配しているはず(?)。それなら一度、見せておいた方がいい。」と思い私が呼びました。すでに、ホームシック?
 おかげさまで、土曜日に、集会場に集まっている地区の人に、二人で挨拶ができたので、ホッとしました。区長さんにもお目にかかれたし(今まで区長さんだと思っていた川崎国男さんは、組長さんでした!)、同じ区の人が誰かもわかったので、さっそくお菓子を調達して挨拶に行きました。
 これで、一件落着!と思ったら、国道を挟んで斜め前の家(同じ区ではない?)の方がこちらを見ているのです。やはり、区は違ってもお隣付き合いははずせないと思い、もう一度お菓子を買いに行って挨拶してきました。あっさりと受け取ったので、もう噂は広まっているのでしょう。挨拶して良かった!
 結局、女房は、家中の掃除をして(私は、外の草取りと、玄関ドアの錆止め塗料を塗りました)、日曜の夕方に帰りました。「すぐに、汚しちゃうのに...」と思いながらも、「その繰り返しに耐えられるのが、女房の女房たる所以か?」と感心しました。
 保田の駅で、電車に乗る女房を見送ってから、夕方、浜に行きました。日中の風で、埃が舞っているせいか、空が霞んでいましたが、西の空に沈む太陽を見送ることができました。
 自分が止まって、周りを見送る。これからの私の生き方を象徴しているようでした。

2006/04/07

2006.4.7 -1454 「転入手続き完了~田舎のルールに、えっ?~」
 ついに、連続投稿が途切れました。まぁ、週末に帰京しない限り、風流家にはインターネット環境がありませんので、どの道途切れるので、しかたがないのですが、やはり、残念です。
 昨日は、半休して、転入届を出してきました。これで、名実ともに居南無 風流家の主です。隣駅の勝山に鋸南町役場があるので、午前9時に出発。早速、届けを出しました。そして、水道課で開栓手続き(手数料1000円)を支払い、街づくり推進課でトイレの水洗化(合併浄化槽の設置)について聞き...
 その隣の課で、風流家の南側にある、町道の側溝の蓋が壊れているので、修理をお願いしたら、何か対応が変です。嫌がっているのか、怒っているのかよくわかりません。が、私が言っていることで、役場の職員が不機嫌になっているのです。
 「そういうことは、区長さんを通じて言うことだ。」というのが、田舎のルールだそうです。風流家の前の持ち主も東京の人で、区に入っていなかったので「蓋が壊れたら町に頼めば、直してくれる。」と教えてくれたのでしょう。
 手続きが終わって、住民票をもらって、「運転免許証の住所変更をしたいのですが、警察署はどこですか?」と聞いたら、「鋸南町には警察署はありません。館山まで行ってください。」ガーン!往復1時間かぁ。
 で、館山警察まで行ったら、「県外からの住所変更には、写真が必要です。」ガーン!聞いてないよ。
 とにかく、田舎のルールと不便さに、今更ながら驚き、「これが田舎なんだ!」と妙に納得しました。

2006/04/05

2006.4.5 -1456 「浜で地元の人と話す~みんな川崎さん~」
 昨夜から降り始めた雨。朝も降っていました。「今日は、Hot a Cleaner 止めようかな?」と、メゲかかりました。でも、今日行かないと、一日で終わってしまいそうな気がしたので、一応、浜へ。
 昨日より少し遅く行ったら、小雨の中、海岸で焚き火をしている人が。「昨日の焚き火の跡は、遊びじゃなかったのか?」と、思いながらも、近くによることもできず、あわてて近くのゴミ拾いを始めました。
 赤い帽子とジャンバーが変だと思ったのか、それとも業者かと思ったのか、赤いTシャツを着た焚き火のおじさんが近づいてきました。「昨日、引っ越してきました。何かお役に立てればと思いゴミを拾っています。」と、怪しいものでないことを力説したら、余計変な言い訳になってしまいました。苦し紛れに名刺を渡しました。
 「私は、そこのピンクの家。スナック“愛”を女房がやっている、川崎です。」...そう言えば、区長さんも川崎さん。道の反対側のお店(与市商店)も川崎さん。「浜区は、ほとんどが川崎です。」とのこと。で、みんな屋号で呼んでいるそうで、スナック“愛”の川崎さんは、“よろずや”だそうです。
 私も、いつか、屋号で呼んでもらえるようになりたいなぁ。その時は、“半兵衛”にしたいのですが、勝手に屋号って決められるのかな?
2006.4.4 -1457 「Hot a Cleaner 始動!~赤い帽子で初めてのゴミ拾い~」
 午前6時起床。5時を過ぎると、風流家前の国道を車が通り始めるので、眠りが浅くなります。さわやかな目覚めというわけにはいきませんでしたが、緊張しているせいか、心配していた寝坊は大丈夫でした。
 食事の支度ができないので、出かける前に、電気掃除機で全館清掃を行いました。
 そして、ついに、保田海岸に出陣!赤い帽子に赤いジャンバーに着替えて、砂浜へ。ゴミはたくさんあるのですが、どれをどうやって拾うか、ちょっと躊躇しました。それでも、いくつか拾って、その中にちょっとお宝も見つけて、証拠にデジタルカメラで撮って...Hot a Cleaner の初仕事は、何とか終了しました。
(別件)昨日、点かなかったガスは、業者に見てもらって、異常なしとのことで、ほっと一息。長期間使わなかったことによる、異常サインの点灯と、ガス管の中に空気が入り込んだことが原因でした。
 風呂に入れた喜びと、風呂場の汚さのギャップに、思わず、裸のまま風呂場の掃除を始めてしまいました。その後、ご飯が炊けるまでと思い、全館の拭き掃除にまでエスカレート!ところが、ご飯が炊き上がってからも、延々と掃除が続きました。
 私は、本当に“磨くのが好き”なんですね。

2006/04/04

2006.4.3 -1458 「ついにスタート!~真夜中のオープン~」
 辞令交付、会議、挨拶回り、新任地赴任、研修生オリエンテーション、所内の机の配置換え...と、何がなんだかわからない一日を過ごして、職場を出たのが9時過ぎ。50kmの道のりは、順調に流れていても、1時間以上かかりました。途中、食事をしようかとも思いましたが、「スーパーが遅くまでやっている。」と言われたので、保田までノンストップ!で、お目当てのスーパーは、9時45分まで。すでに閉まっていました。
 海岸に出て、妻に到着の電話。遠く三浦半島の灯りが輝いている中で、「けっこう、いい感じ!」でした。その、勢いで、風流家に到着。
 電気“よし!”、水道“よし”、ガス“...”ん?点かない!ガスは出てる感じだ(シューッと音がする)し、点火の火花も飛んでるのに...。困った!が、もう11時近く、外でガチャガチャやると隣に迷惑だし。ということで、ガスは断念。ということで、風呂はもとより、料理はおろかお茶も飲めないという、記念すべき真夜中のオープンでした。
 で、食事はどうしよう?やはり、何がなくても食い物だけは...ということで、思いついたのが、レトルト食品(ご飯とハヤシ・ルー)。電子レンジで暖めて、寂しいオープニングディナーとなりました。せめて、少しはディナー気分ということで、ワインの代わりに温い缶チューハイを飲みました。
 布団を敷いたのが、午前零時半。ちょっと酔ってるかな?という気分と、もはや限界の体力。おかげで、爆睡することができました。やれやれ。

2006/04/03

2006.4.2 -1459 「準備完了~緑の巨大なバックパック~」
 ラストチャンスの2日間。一日は、花見に費やしてしまいました。今日は、張り切って旅立ちの準備を...するはずだったのですが、「明日からの新しい仕事の支度もしなければ...」という強迫観念から?朝からずっと、動きが悪いままでした。
 結局、午前零時を過ぎてから、何も考えずに、その辺に散らばっている荷物を、緑の巨大なバックパックに詰め込んで...何とか、明日出発する準備ができました。
 この緑のパック。十年近く前に、「バック一つ持って家を出るとしたら、このくらいの大きさが要るなぁ。」と思い、大好きな緑のバックが安売りされていたので、衝動買いしたものです。それが、いよいよ役に立つなどとは、思っても見ませんでした。しかも、目的が、購入当時のままなのです。
 保田に行ったら、海の時代。今までの山の時代は、イメージカラーが緑で好きな色と一致していたのですが、海はやはり青ですよね。緑から青へ。明日は、緑の巨大なバックパックで、緑の時代から、青の時代へ夢を運びます。

2006/04/02

2006.4.1 -1460 「花のお江戸~東京見物~」
 50年以上東京で生きて、初めて“お花見”を目的に東京を歩きました。私は、東京で3代目になるので、一応江戸っ子。都内は何処でも知っているという訳にはいきませんが、高校生までは、文京区に12年間通っていたので、新宿・池袋は良く知っています。もちろん、中野~吉祥寺はホームグランド。
 というわけで、中央線で行く「お花見ツアー」に妻と出かけました。
 とにかく、明日の天気が悪いという予報なので、今日が最高の人出になることは確実。午前中が勝負!ということで、9時に出発しました。
 まず、上智大学の百本桜を見て、麹町から半蔵門へ。内堀から北の丸公園を通って、日本武道館・靖国神社の横をすり抜け、外堀通りへ。市ヶ谷から四谷まで外堀と中央線(快速と緩行線)を見ながら「18年間、良くぞ毎日、ここを通ったなぁ。」と感激しました。北の丸公園で昼食を取る頃には、もう黒山の人!靖国神社前の横断歩道には、身動きが取れないくらいの人がいました。
 みんなと進む方向が逆なので、脇道をすいすい通って、ハイキング気分で歩けましたが、昼近くに九段下をスタートした人は大変だったと思います。それでも、桜の名所といえば「千鳥ヶ淵」、みんな行くんですね。
 帰りに、私だけ、買い物のために、千駄ヶ谷で下りて、混んでいる新宿御苑とは逆の東京都体育館裏を通ったら、神社の桜が見事でした。こういう所で、ゆっくりお花見する人は幸せですね。
 そういえば、我が家の周りにもすばらしい桜の木がたくさんあります。
 みんな、花見ではなく、花見の混雑を味わいに行くのでしょうか?

2006/04/01

2006.3.31 -1461 「さようなら成東町」
 ついに最後の通勤。中央線の車内からは、春にはめずらしく、くっきりと凛とした富士山が見えました。「東京から見る富士山もこれが最後か...」と思うと、ふと「なごり雪」の歌詞が頭に浮かびました。「東京で見る雪は、これが最後だと、...なごり雪の降ると時を知り、大人になると気づかないまま、今、春が来て君はきれいになった。」
 成東駅に着いて、1年間自転車と原チャリの面倒を見てくれた、駐輪場の整理のおじさんに、お世話になった御礼を言ってから、「なごり雪」を口ずさみながら、自転車で走ると、八部咲きの桜に囲まれた浪切不動院の赤い色が一際輝いていました。「そう、1年間でうちのスタッフもおとなになったなぁ...」
 さようなら、成東町!(実は、3月27日で成東町も合併でなくなり、山武市『“さんむし”と読みます』になりました)
 そうだ!明日は、女房と桜を見に行こう!明日は、東京ともお別れしよう。なごり桜、なごり都。
 そして、ありがとう、さよなら!