2006/12/28

2006.12.27 -1191 「バクダン低気圧が通過 ~西風の置き土産は...トホホ~」
 26日午後からの雨は、12月としては異例の大降りとなりました。帰宅時、ワイパーを最速にして1時間以上も運転したら、気持ちが悪くなりました。そして、深夜からは風が強くなって、朝起きて浜に行ってみるとゴミの山!西風が吹くと、ゴミが全部打ち上げられてしまいます。
 その量たるや、人力ではとても片付けきれないレベル、ブルドーザーでどこかへ押してからダンプで...で、どこへ捨てる?人工物を分別して拾い、木は燃やす?やっぱり、穴を掘って埋めるしかないかもしれません。この浜の下にはものすごい量のゴミが埋まっているのかも?

 ところで、北海道で竜巻が発生して以来、このような季節外れの低気圧をバクダン低気圧と呼ぶようになりました。西高東低は冬型の気圧配置のはずですが、台風並みの勢力を持つ低気圧が太平洋側を北上するパターンはあまりお目にかかりませんでした。
 そして、27日の暖かかったこと。20℃以上になったのではないでしょうか?我が家の居間で活躍しているRB25(トヨトミのレインボーストーブの新品を通販で買いました)も、使わずに夜を過ごしました。
 今年は暖冬間違いなし!?寝室の寒さが気になりだしていたので、暖冬はうれしいような...でも、冬らしい冬を経験したいという気持ちのほうが強いかもしれません。

2006/12/25

2006.12.25 -1193 「実は毎年こうなんです ~いい加減にしないと...~」
 否、こんなに太りだしたのは今年が初めてです。幸せ太り?いえ、一回の食事の量が多すぎるんだと思います。それに加えて、最近やる気がないので、ご飯を炊かずに“おにぎり”や“おいなりさん”などの出来合いの主食に出来合いのおかずをスーパーから調達することが多くなって...
 やはり、まず食生活の改善かなぁ。「こんな食事ではダメだ!」という強い意志がないと、疲れて帰った後、ご飯が炊けるまでの約一時間は待つのが辛い!そのためには、早く帰らないと...そのためには早く職場を出ないと...そのためには、早くスタッフが仕事を終わらせないと...そのためには...ハードルがいっぱいあるんですよね。でも、この際だから、後は次席の責任者にすべてを任せて早く帰りましょう!と言っているうちに、早七時半。買い物をして、家に帰り着くのは、やっぱり9時。ご飯が炊けるのは10時。今夜も白い温かいご飯は食べられそうにないなぁ。
 ところで、精神面が不調(心のアンバランス)なのは、毎年この時期に特有の現象です。昨年は、居南無 風流家の取得に向けて、気持ちがハイになっていたのでそれほど目立たなかったけど、今年はいつもの無気力状態に近いようです。
 どうしてこうなるのかなぁ。明日また考えます。
2006.12.24 -1194 「頭も体も運動不足! ~明らかに脂肪沈着している~」
 ずーっと投稿する気が起きませんでした。考えようという気が起きない。体を動かす気がしない。明らかに頭も体も運動不足です。おかげで下腹部は脂肪で膨満し、内臓脂肪の沈着(蓄積)が進行していることは確実です。体重も3kg以上増えました。こうして座っていると、ズボンのベルトによる下腹部への圧迫感を強く感じます。
 頭は、考えることを恒に拒んでいるようです。「老眼が進行し、近くがよく見えなくなったことで、集中力が低下しているのかなぁ。」と思い、眼鏡を作りに行ってみました。でも視力を褒められただけで異常なし。老眼鏡を着用して本の字がはっきり見えるようになっても、頭がすっきりするようなことはありませんでした。
 これ、絶対に呆けが入ってる!と、感じます。近頃、気力だけでなく、記憶力も衰えているし、思考力にいたってはゼロに等しい状態です。 本を読んでも、頭に入りません。ここは!と思った所は付箋をしておかないと、後から見つけることができなくなりました。ですから、付箋を見つけたら、写すだけです。
 自ら告白することには、聊かの抵抗(言えばそのとおりになってしまうのではないかという恐怖)はありましたが、もう後戻りできないようなので、約二ヶ月間の沈黙末、ついに“言ってしまう”ことにしました。
 脂肪が沈着した頭と体をどうするか?健全な肉体は健全な精神に先行するか?はたまたその逆か?と、悩んだわけではありませんが、とにかく腹がきついので、運動による蓄積脂肪の解消を実現するために、クリスマスに自分でウォーキングシューズを買いました。(一応、女房からのプレゼントということになっています)正月には少し歩くことにしましょう!
 ん?無目的に歩く人を軽蔑し「掃除でもすればいいのに...」と言っていたのは誰だった?
 もぅ、絶対ボケ入っている!

2006/11/02

2006.11.2 -1246 「海の水は、まだ温かい? ~ナミノコガイ、その後~」
 毎朝の浜掃除、続けてはいるのですが、どうも時間が押していて(最近起きるのが遅くなっている!)、形骸化しつつあります。マイビーチをさっと歩いて小さなゴミ(タバコのフィルターと発泡スチロールの残骸が多い)を拾い、5分足らずで終了!で、言い訳にはなりますが、浜が綺麗になっているような気がします。月に何回か町に委託された方々(福原さんたち)の努力もあると思いますが、大きなゴミが少ないのです。
 私の浜掃除の目的は「裸足で歩きたい!」(カッコつけて言えば、“子供たちが裸足で浜で遊べるように”となります)ですから、所期の目的にはかなり近づいているような気がします。でも、実際は、仕事の長靴を履いて浜掃除をしています。足で、砂の感触を掴むことはできませんが、ゴミを拾っている手が砂の感触を感じます。そして、砂のついた手を洗うために、波打ち際で海水に手をつけたら...意外に暖かいんです。これなら,まだ泳げる?とまではいかないまでも、足くらいなら大丈夫そうです。「裸足で海に」がテーマなんですから、冬も休日はビーチサンダルで浜に行こうと思いました。
 浜を歩いていて、ナミノコガイがいないことに気がつきました。そして、良く見ると、2cmくらいに育ったナミノコガイの貝殻がチラホラ。生きている貝は見つかりませんでした。波打ち際ではなく、もっと深い所に棲んでいるのでしょうか。まだ、海の水は暖かいような気がするけれど、ずーっと水の中で暮らしている貝には、季節の変わり目が良くわかるのかもしれません。
2006.11.1 -1247 「そろそろ冬支度 ~灯油買いました~」
 先月下旬に、結構寒い日があって、「やはり、暖かい南房総といえども、冬はストーブが要るな」と痛感しました。(もちろん25年前に鴨川にすんでいた時もストーブは使っていました。)
 で、一人暮らしのお供に相応しいストーブを探そうと思い、ヤフオクをのぞいて見ると...やはり、定番のアラジンのブルーフレームはそれなりの値段。青い火に魅力は感じるけれど、イマイチ2万5千円以上の価値を見出せませんでした。そして、ついに本命発見!トヨトミのレインボーストーブ(RB-2)という機種。昭和50年代に発売され(当時16,400円)、「暖房革命、今、温める(暖めるではない!)だけの暖房から、楽しめる暖房へ」というキャッチコピーでした。形もなかなかで、七色に輝く炎がガラスの筒から溢れ、何と40Wの電球の明るさ!幸運にもオークションに出ていましたので早速入札しましたが、結構プレミアムがついているため、落札金額(一万円オーバー)に届きませんでした。
 このRB-2、余程好評だったと見えて、2005年には復刻版モデルとしてRB-25が発売されました。でも、定価2万円と25年を経てほとんど値段が変わらないだけあって、デザインも安っぽくガッカリしました。とは言え、レインボーフレーム(七色に輝く炎)の魅力には勝てず、オークションの入札を繰り返しています。
 しかし、未だ落札できません。灯油だけは、昨夜買ってきたのですが...本格的な冬の到来の前に癒しの炎が拝めるでしょうか?

2006/10/18

2006.10.18 -1261 「時計は置かないはずだったのに ~電波時計をもらいました~」
 母の仕事の関係(創立35周年記念)で、置時計をもらいました。薄い写真立てのような形で、電波時計です。壁掛けにもなるのですが、とりあえずダイニングキッチン(1階の居間)に置きました。
 実は、“時計を見ない暮らし”が私の理想の生活でした。当然、4月に入居以来、時計は置いてありません。とは言え、仕事柄、腕時計(秒針付)が必要(心拍数を測るのに15秒という時間が知りたいため)なので、家を出る時は時計を持ち歩きます。その代わり、家の中には時計は置かない!
 でも...ステレオのチューナーには、時刻がデジタル表示されているし、目覚まし代わりにストップウォッチが寝室に転がっているし...もちろん、携帯にはいつも時刻が表示されているし。理想と現実は大きく異なっています。
 「時間に束縛されたくない!」のは切実な思いですが、電波時計のあまりに正確な時の刻みは、クール過ぎて見ていると、安心感よりはむしろ恐怖のほうが先に立ってきます。でも、ついつい見てしまう。頼っちゃうんですよね。
 やはり、まだ「時間に束縛されている!」

2006/10/03

2006.10.02 -1277 「アサリの子供がたくさんいる!?~実は,ナミノコガイでした~」
 9月になって,波打ち際に白い小石がたくさん打ち上げられているのを発見しました。それにしても,大きさがそろっているのです。近くに寄って見ると,消えています。そして,次の波が来ると,また砂浜に白い小石が...
 で,よく見ると,小さな貝なのです!波に運ばれてきて,次の波が来る前にさっと砂に潜る。貝のイメージを完全に覆す早業。パッと現れてスーッと消えるのは忍者のようです。二枚貝で形はアサリ,大きさは1cm弱。まさにアサリの子供です。尖がった方からベロ(足)を出し,砂に突っ込んで足を縮めると尖った方から垂直に砂に潜ることができます。
 周りを見ると,一波ごとに何百何千という白い小さな貝が現れ,消えていきます。まさに,イリュージョンの世界!しばらく見惚れていました。
 「これは,アサリの子供に違いない。これだけの数が砂の下にいるのだから,だんだん成長したら,ものすごい数のアサリが採れる!?」と,喜びましたが,すぐに「保田でアサリが採れるということは聞いたことがない。」と思い直しました。「もしかしたら,ここで大きくなって,富津の方に移動していくのかな?それなら,もう少し大きくなってから,移動する前にアサリ採りをしよう!」
 と,いうわけで,仕事場で「アサリの子供を見つけたので,今度採ってくるぞ!」と宣言しました。しかし,夏休みを兼ねて女房の実家に行って,何気なく見ていたテレビで“キュウシュウナミノコガイ”のことが紹介されていました。「ナミノコガイ?」...さっそくインターネットで調べてみたら,やはり,私が見た小さな貝は“ナミノコガイ”に間違いありません。子供じゃなくて,1cm弱が大人の大きさ。と,言うことで待っても大きくなりません。
 それに,最近は波打ち際に見える貝の数がとても少なくなってきました。あの時,採っておけば一回分の味噌汁のダシくらいにはなったかも?いえいえ,ダシが出てとてもおいしいとネット上で紹介されていました。
 でも,私の食欲を満たすために,数百個のナミノコガイを採るのはやめましょう。浜で拾うのはゴミだけ。ダシはインスタントの顆粒で十分です。
 ナミノコガイは,波際のイリュージョニストとして大切にします。

2006/09/11

2006.9.10 -1299 「向う三軒両隣 ~ 近所づきあいは...~」
 ついに、“その日”まで1,300日を切りました。別に、1,300日に特別な意味があるわけではないのですが、いつしか夏も終わり、ふとカウンターを見ると-1299だったというわけです。
 海の家は8月最終週で終わり、今は跡形もありません。この週末は、大変蒸し暑かったので、海に遊びに来た家族連れもチラホラいましたが、泳いでいる人はほとんどいませんでした。これからは海釣り(シロギスの投げ釣り)のシーズン。また、浜が違う種類のゴミで汚れます。
 秋は、収穫のシーズン。仕事柄、農産物をもらう機会も増えます。私一人では食べきれない量をもらった時、両隣にお裾分けしました。数日後、一人暮らしの隣のおばあさんから、立派なブドウを一房もらいました。で、こちらからは新米を少しさしあげました。「このままエスカレートしていっていいのかなぁ?」と思いつつも、まぁ「できるところまでやってみよう。」ということに。
 そう言えば、向う三軒には、何もさしあげていません。昔から“向う三軒両隣”というけれど、向う三軒との間には国道127号線が走っていて、片側1車線の狭い道ですが、それが“橋のない川”になっているのかも?
 近所づきあいは、バランスが大切。なかなか難しいものです。

2006/08/07

2006.8.6 -1333 「夏本番! ~でも、数百人の人出~」
 8月5日は、岩井の花火がありました。午後7時半からということで、プライベートビーチのいつもの場所を確保するために、7時頃缶ビールとつまみ(自家製フライドポテト)を持って出かけました。が、ギャラリーは私だけ。そのうちに近所の子供たちも何人か出てきましたが、花火が始まって10分足らずで全員退散!南の山の陰に花火の煙の中に次の花火が雷光のごとく光っているだけでは、わざわざ見る人もいないのは当然?それでも、始めと中間そして終わりに打ち上げられたスターマイン?(尺玉)は、空高く大きな二重のえんを描いてきれいでした。10分遅れで始まった花火も定刻の8時半にはぴったり終わりました。なんだか、夏の終わりのような気分になってしまいました。
 翌日は、早朝から鋸山登山。濃い霧が出ていたので、涼しいうちに帰ってこれるかなと思っていたら、とんでもない!モーレツな暑さでフラフラになって帰ってきたら、浜で地引網をやっていました。おそらく、これが保田海岸のメインイベントなのでしょう。それまでに見たこともないような人出でした。まさに黒山の人だかり!
 それでも、網を引き終わりみんなが浜に散ったところで数えてみると、海に入っている人は100人足らず。砂浜いる人はその3~4倍と見ても500人はいません。これが、“千葉県海水浴発祥の地”である保田海岸の集客力だと思うと寂しくなります。
 その海水浴客も、午後5時を過ぎるとほとんどいなくなり、6時半には無料駐車場にも車がいなくなりました。後には、そこここに散らかったゴミだけ。日帰り客が多く、地元にはほとんど恩恵のない行楽客が残したゴミを拾うのは、とても空しい気持ちでした。しかし、犬の散歩に来ていたスナック愛の川崎さんが「いつも、すまないねぇ。」と言ってくれたのが、せめてもの救いでした。
 「この客を相手に商売するのも...」と、考えさせられる一日でした。“その日”までに何かを見つけられるのか?だんだん心配になってきました。

2006/08/04

2006.8.3 -1336 「梅雨明け ~本当の夏がやって来た!~」
 気象予報士の言ったとおり、梅雨が明けました。まだ、本格的なギラギラした太陽という訳にはいきませんが、もうジメジメした梅雨空には戻らないと思います。
 風流家も一階の湿気が気になりますが、さすがに一階を網戸にして仕事に出る勇気はありません。でも、二階の網戸は「夕立なし!」と判断して開けておくことにしました。予想通り、雷も雨もなく一日が過ぎました。
 帰宅途中、上総湊を過ぎたあたりから、路肩に停めている車が目につきました。対岸を見ると、久里浜あたりで花火が上がっています。(後でインターネットで検索したら「三浦海岸納涼祭り花火大会」でした)
 9時まではやっているだろうと考え、保田まで帰り、プライベートビーチに座って花火見物を始めましたが、十分足らずで終わってしまいました。8時40分でした。
 でも、晴れた夜空には半月と明るい星が光り、月明かりが海に映っていました。風もなく、波の音は静かで、対岸の夜景もすばらしい眺めです。毎日見ているから、このような瞬間にここにいられるのです。これこそ最高の贅沢です。

2006/08/03

2006.8.2 -1337 「バリケードⅡ ~石とコンクリートブロックはちょっとやり過ぎ?~」
 風流家を8時に出ればよかったので、恒例の草取りをしました。と、草の生え際には、やはりタイヤ痕が付いています。
 壊れかかった物置の裏に大きな石とコンクリートで2つのブロックを固めた大きな塊があったので、それを置いてみました。なんとなく収まりが悪く、違和感がありますが、それも植生のため。近所の人からは「何もそこまでやらなくても...」と思われ、評判を落としそうです。それでも、植生のため、心を鬼にして...は、ともかく、自分がぶつけて恥をかかないようにしないと。
 出掛けにプライベートビーチに行くと、数十人の同じTシャツを着た若者がワイワイやってます。観光協会の副会長が「困った困った...」と言いながらやってきましたが、町に許可を取って日帰りでバーベキュー大会?をやるとのこと。スピーカーなどPA装置も持ってきてかなり本格的。聞けば400人規模とのこと。学生さん?
 車で来て、日帰りでは、地元には何ら経済効果をもたらさないはず。でも、将来家族ができたら、子供と一緒にお金を持って遊びに来てくれれば...と、長い目で見れば、目をつぶるしかない?それでも、明日の朝、浜を見るのが怖い!こっちにもバリケードが必要?バリケードⅢ!

2006/08/02

2006.8.1 -1338 「梅雨明け宣言もタテマエ ~夏の太陽は遠い?~」
 8月3日±1日と予想されていた梅雨明けが、31日に宣言されました。8月に入ってからの梅雨明けでは、何かまずいことでもあるのでしょうか?実際は、まだまだ蒸していて、すっきりとした晴れ間もなく、梅雨空であることは誰が見ても明らかです。
 それにしても、夏の太陽が待ち遠しい。でも、このところの夜の過ごしやすさも捨て難いし...仕事は暑さが大敵なので、本当の梅雨明けがもう少し先でも良しとしないと。
 とはいえ、風流家一階jは湿気が強く、カビが発生しているので、本音は「早く夏が来い!」です。

2006/07/31

2006.7.31 -1339 「草取りが唯一の楽しみ ~選択的除草の効果は?~」
 7月2回目の書き込みが31日になってしまいました。7月から9月は、仕事が一番忙しい時。しかも、今は東京に帰った時にしか書き込みができない状況なので、こんなペースです。それでも半年で60回目の記念すべき書き込み。...にしては、内容がない!
 忙しいとは、心が亡くなっている状態。自分の周りの時間・人間(じんかん)・空間に気がつかない、気づく心を無くした私には、書き込むネタもない!?
 仕事でクタクタになった日は、十時過ぎに帰ってから、食事を作って風呂に入って洗濯するのがやっと。でも、心神喪失状態でこれだけのことをこなしてきたことの方が不思議なくらいです。
 それでも、朝は心新たに?草取りに専念しています。今までは背の高い草を鎌で刈っていたのですが、よく見るとプライベートビーチと同じ植物(コウボウシバ、コマツヨイグサなど)が家の周りにもチラホラ生えています。そこで、浜で見る植物以外の雑草を選択的に根こそぎ取ることにしました。
 私の尊敬する宮脇昭先生の雑草学とは相容れない手法ですが、これから風流家の庭造りの基本になるかも?

2006/07/18

2006.7.17 -1353 「流木でバリケード? ~周囲の目は気になりますが...~」
 このところ仕事が忙しく?書き込みができませんでした。というより、日常生活に追われ、それに埋没していると、気づくことがなくなるのかも。こんな時間の使い方が嫌で風流家の家主になったのに...
 ところで、今日は海の日。昨日は、遊びに来た友人の子供と海に入りましたが、今日は昼から雨。梅雨明けはもう少し先のようです。雨でも、夕方の海岸散歩は欠かさずに(しないと、そのうち面倒くさくなってやめてしまう?)という訳で、浜に行ったら、手ごろな(一人で運べる)流木がありました。
 実は、風流家には周囲に塀がありません。国道に面した土地は、駐車スペースとして使っているのですが、私が来る前からパブリックスペースと化しています。トラックのタイヤと見られる跡が国道から玄関までの距離の半分くらいの所までついています。この場所にはコウボウシバやコマツヨウグサといった浜辺の植物が自然に生えているので、それを養生するために、車が入り込まないようにしたいと思っていました。
 でもブロックを積むということになると、塀がないというコンセプトに反します。石を置くのも、いつものとおり車を突っ込んだらゴツンでは、腹いせに何をされるかわかりません。で、流木を目にしたとき「これだ!」と思いました。
 すでに、かなり朽ち果てているので、見た目以上に軽いのです。もし、ぶつかっても、流木が飛ばされることはあっても、車が大破することはないでしょう。ということで、人力で運んできました。
 角に置いてみると、オブジェのように見えます。でも、近所の人から見れば、車避けであることは一目でわかります。「日中は使っていないのだから、そんなに目くじら立てなくてもいいんじゃないの?」という声が聞こえてきそうで...でも、浜の自然が味わえる庭にしたいと思うことはオーナーの自由です。なのに、何で周囲の目を気にするのか?自分でも変な感じがします。

2006/06/25

2006.6.25 -1375 「不動産取得税の話 ~税務署はやさしい?~」
 12月に風流家を手に入れてから、6ヶ月以上経ちました。移転登記をお願いした司法書士のセンセイは「3~4ヶ月すると県から税金の通知が来ます。それまでは、何もしなくていいです。」と言っていました。税率は3%なので、評価額が売価格の半分程度とすれば、「10万円くらいかな?」と思っていました。
 ところが、半年経っても県からは何も連絡がありません。税金を払いたいと言うわけではありませんが、通知を出しているのに届いていないのなら大変だと、だんだん心配になってきました。そこで、館山県税事務所に電話したら、「早くて半年、9ヶ月くらいしてから通知される人も多い。」とのこと。で、先週東京に戻ったら、県税事務所から通知がきていました。1ヵ月後に課税される額が示されていました。納付期限は7月31日。金額は8万円台でした。
 「思ったより安かったな。」と思いましたが(評価額が土地・建物ともに180万円台でしたが、土地は税額が半分減額されていました!)、同封されていた案内を見ると、中古物件でも築25年以内なら100万円まで控除されるとのこと。180万円なら、180-1000=-820となり、戻ってくる!なんてことはないが、建物の税金はゼロかな?
 ということで、さっそく館山県税事務所に再び問い合わせの電話をして見ると「条件は合っているので、必要な書類が揃えば軽減申請ができる」とのこと。電話に出てくれた安田さんは、とても親切で丁寧な説明をしてくれたので、翌日、安田さんを訪ねて館山県税事務所に言ってきました。
 書類は、ローンを組むときにそろえた書類が使えたので、問題ありませんでした。安田さんが対応してくれたので、再度事情を説明する必要もなく、スムーズに手続きが終わり、計算してくれた結果、“税額ゼロ”とのこと。土地の取得税もタダになりました!
 県職員の方とは、日ごろお付き合いがあるので、それほど緊張しなかったのですが、「国の役人である税務署はともかく、県税事務所のスタッフはやさしい!相談してみるものだ。」というのが教訓となりました。

2006/06/22

2006.6.22 -1378 「客砂の正体は?~海の家の土台でした~」
 何で砂を?...と思っていたら、いろいろな資材が運び込まれてきて...丸太が掘建てられて、海の家の骨組みが出来てきました。
 わざわざ砂の土台を作ったのは、海の家の下を平らにするためだったんですね。どうも駐車場の下は、ずらりと海の家が並びそうです。いまどき海の家がまだ建つとは、想像もしていませんでした。ということは、海水浴シーズンは混雑するんでしょうね。
 幸い、我がプライベートビーチの方には、海の家は建たないようなのでほっとしています。

2006/06/15

2006.6.15 -1385 「客砂!?なんでそんなことするのかなぁ~」
 昨日の朝、海岸の遠くの方に重機が置いてありました。「ゴミを埋めるために穴でも掘っているのかなぁ。」くらいに思っていたら、今朝駐車場の下にホイールローダとユンボがあり、砂が山になっていました。穴はありません。ということは、砂をどこからか持ってきたのだと思います。
 浜掃除をしてきれいになったのに、わざわざ別のところから砂を持ってきて、砂浜を新しい砂でカバーするなんて!もったいない話です。海水浴シーズンを前に町の予算でやっていることだと思います。
 私のプライベートビーチ(?勝手にそう思っている場所)は、そんなことをしなくても十分にきれいです。砂浜に続く植物群落の中に、道行く人?が捨てたゴミが散らかっているくらいです。
 ゴミを拾い始めた頃は、ジャン・ジオノの「木を植えた人」のように、木は植えれば森になるけれど、ゴミは拾っても拾ってもなくならないので、こんなことやっても無駄では?と思ったときもありました。でも、2ヶ月続けてみたら確実にゴミは減りました。
 客砂(客土と言う言葉があるので)してゴミを隠すより、ゴミは拾ったほうが本質的にきれいになるような気がしますが。金に物言わせる町のやり方は、千葉県一金のない自治体らしからぬものでしょう。金がないなら頭を使うか体を使うのが良いと思いますが...なんでそんなことするのかなぁ。

2006/06/13

2006.6.12 -1388 「アンモナイト ~何もない?~」
 先週のハイキングについて書かなかったので、遅ればせながら一言。
 梅雨入り前に鋸山に行っておこうと思っていたのですが、6月3日(土)は朝から良く晴れたので、7時半に出発しました。
 保田駅から鋸山登山口(林道口)まで4.6km。林道元名金谷線を進みます。途中までは舗装道路ですが、採石場跡から先は雨の日は道が川になるような砂利道になります。
 人通り(人気?)の全くない道ですが、初めて出会った(採石場跡で工事をしていた)人から「アンモナイトでも堀りに来たんか?」と聞かれ「違います、鋸山に行くんです。」と言ったら変な顔をしていました。どうやら、このルートで鋸山に行く人はほとんどいないようです。
 アンモナイト?そういえば、小学生の時、臨海学校で富浦に来たら、おみあげに貝か何かの化石を売っていたような記憶が蘇ってきました。周りを見れば砂岩が風化してゴロゴロ落ちています。もしかしたら、化石があるかも?と、2・3個石を転がしてみましたが、何も出てきません。
 アンモナイト?アーンモナイ...「あーんもない」は、房州弁で「何にもない」こと。
 鋸山登山については、もう一度登った時に報告しますが、みんなが知っている鋸山(ロープウェイ山頂)は、鋸山山頂とは全く別な場所だということを初めて知りました。山頂~見晴台を過ぎてから、道に迷って肝腎の石切り場を見ずに浜金谷へ下りてしまったので、もう一度引き返すことになってしまいました。結局、20km以上歩いたと思います。
 石切り場の手前(少し山手)で、ハンマーを持っている若者がいました。バイクで上ってきたようです。おそらく、この人こそアンモナイトを探しに来たのでしょう。
 そこで一言。「あーんもない...よ!」

2006/06/12

2006.6.11 -1389 「全山カニの巣!?~大黒山はすばらしい!~」
 先週の鋸山(縦走?)に続いて、土曜日に水仙ロードから勝山に下りました。水仙ロードは、何と言うことのない舗装道路で、水仙の時期以外はハイキングには適していません。それでも、江月という集落が終わり、佐久間方面へ下る道は多少山の中を歩く雰囲気があります。しかし、その山道も佐久間のかなり山に寄ったところに出るので、そこから勝山港までの道のりの遠いこと。広いバイパス道路を歩くのは、なんとも興醒めでした。
 それでも、港に出てからの海の風景は、まさに絶景。そして港から見上げると、山の上に何やらお城のような建物がありました。少し歩くと“大黒山展望台入口”の道標を見つけました。急な階段を登っていくと、ガサガサという音が絶えず聞こえてきます。「蛇にしては、少し硬い音だなぁ。」と思いながら、これだけ多くの蛇がいるというのも変だと、音源を探ってみると...大きな弁慶ガニが木の葉の間を巣穴の方へ逃げていくところでした。よく見ると土にはボコボコに穴が開いています。これ全部カニの巣?大黒山そのものが巨大なカニの巣なんですね。
 5分ほどで、頂上へ。お城のような建物は展望台でした。平成3年に勝山城を模して建てたそうです。上から見下ろす勝山~大六~保田は最高でした。これで晴れていたら、伊豆大島から横浜(は、ちょっとオーバー?観音崎くらい)まで丸見えです。本当に水平線が丸く見え、180度は海が広がっています。
 シーサイドビューは、鋸山より大黒山がおすすめです。安房勝山駅から港へ出て、そこから10分で着く大黒山からを大六海岸を経由して保田に至る道は、散歩コースとして絶対のお勧めです。(途中に菱川師宣記念館や漁協直営の食堂“ばんや”があります。)
 しかし、赤いハサミの弁慶ガニが苦手な人は、ガサゴソしている方を見ないことが条件ですよ。

2006/06/09

2006.6.8 -1392 「どぶ板が...」
 仕事から帰ったら、風流家に接している町道側のどぶ板が新品に変わっていました。そういえば、数日前から、どぶ板が壊れて穴が開いている所に赤いコーンが2本立っていました。「危険箇所」ということで、町が設置したんだなと思っていました。
 でも、こんなに早く直してくれるとは思ってもいませんでした。
 実は、4月6日に転入届を出したついでに、町の土木課に寄って「どぶ板が壊れていて危険だから直してほしい。」と要望したときのこと。「そういう要望は何百とあるので、すぐにどうこうしろと言っても無理。早く何とかしたいのなら、自分で直して町に寄付しろ。だいたいこういうことは、(本郷浜)区長を通じて言うものだ。」と言われビックリしました。そのことは、ブログに書きました。「嫌な町に来てしまったなぁ。」という感想を持ったことも確かです。
 ところが、5月末に鋸南町の産業振興課長さんと、ある会合でお会いして名刺を交換しました。「いっそのこと、その課長さんにお願いして、むき出しになった側溝を塞いでもらおうかな?」と考えていた矢先の出来事だったので、赤いコーンが立った時に「もしかしたら...」と思いましたが、すぐに直してくれたところを見ると、その課長さんが私の家を見に来たのかも?
 そんな想像もしてしまうような、思いがけない結果でした。でも、危険極まりない状況がとりあえず改善したので、結果オーライと言うことにしましょう。それとも、課長さんにお礼の手紙でも書きましょうか?

2006/05/31

2006.5.30 -1401 「ゴミ・ゼロの日~その跡は?~」
 5月30日は、ゴミ・ゼロの日。県内各地で直近の週末を一斉清掃日と定めています。鋸南町も27日(土)をその日にしていましたが、私は東京に行っていたので、その行事には参加しませんでした。土曜日は天気が悪かったので、日曜日(28日)に順延したかもしれません。
 朝、海岸へ行ってみたら、期待していたほどきれいになっていません。週末の荒れ模様で、またゴミが打ち上げられてしまったのかもしれません。それでも、良く見るとブルドーザーの入った(キャタピラーの)跡がついています。
 ということは、...もしかしたら、集めたゴミを砂の中に埋めてしまったのかも?(トラックの)タイヤの跡はありませんから、海岸から運び出したとは思えません。それに、キャタピラーの跡だけでなく、前についているバケットで平らにならしたような跡がついているので、ますます作業内容を確信してしまいました。嫌だなぁ...
 荒れ模様の爪痕なのか、浜には少し大きめな砂利と一緒に小さなイワシ(背黒イワシ?カタクチイワシ?)が大量に打ち上げられていました。それを、鳶がつついて食べています。その数は、何羽ではなく、何十羽の単位でした。何千何万というイワシの死骸も、すぐになくなってしまうに違いありません。(もしかしたら、近所の人も拾いに来ていたりして...?)
 後始末としては、鳶の方が上手ですね。

2006/05/27

2006.5.26 -1405 「東京に戻ってくれば濡れ落ち葉~さも、有り南無~」
 25日に千葉(市内)へ出張したので、その足で東京に戻りました。深夜の帰宅で、酒に酔っていたので、そのまま沈没!そして、朝からゴロゴロ。やっぱり濡れ落ち葉になってしまいました。
 なんで独りでいるとあんなに家で働くのに、妻がいると何もやらないのでしょうか?今まで、ずっと何もやらなかったので、そんな疑問も感じなかったのですが、家に帰ると生きる力が湧いてこないんです。つまり、今までの家は“帰って休む処”以外の何ものでもなかったのでは?
 確かに疲れていることも事実です。が、先週末だって相当疲れていたのに、日曜日(21日)は、自分でも感心するくらい働きました。やはり、家に帰ると女房に甘えてしまうんですね。
 今までは、濡れ落ち葉が乾かないうちに、月曜日の仕事に行っていたような気がします。これでは、すぐに腐ってしまいます。動いて風に当って、自分を乾かして、爽やかな気持ちで仕事に向かいたいものです。

2006/05/23

2006.5.22 -1409 「冷蔵庫をゲットしました~で、何入れる?~」
 インターネットオークションで冷蔵庫を手に入れようとしたのですが、なかなか落札できませんでした。手に入らないと欲しくなるのが人情です。
 でも、なんで冷蔵庫が欲しいんでしょうか?「その日に食べきれない、腐りやすいものは買えない。」ので、「冷蔵庫があれば、好きなものが食べられる」というのが購入動機でした。が、一ヶ月以上冷蔵庫なしで暮らすと、だんだんその理由も曖昧(希薄?)になって...「ものを腐らせないで食べきる工夫」もまた一興と思い始めました。ちょうどそんな時に、職場のスタッフから「実家に学生が置いていった小さな冷蔵庫があるので持って来ましょうか?」と声をかけられ、思わず「すまないねぇ。」の一言。それで決まり!容量120ℓの2ドア冷蔵庫をゲットしました。(冷蔵庫の電気代で、外で好きなものを食べられるかも?)
 スタッフが職場まで持ってきてくれたので、職場からは、ライトバンの荷物室に入れて運びました。入れるときに手伝ってもらうと、居南無 風流家で一人で降ろせないと困るので、スタッフのいないときに一人でチャレンジしました。なんとか入ったのですが、車から降ろして部屋に入れるときは,少し難儀しました。やはり、狭いところでは、力だけでなく気も使うものですね。
 横にして運んだ(冷蔵庫は横にして運ぶのは厳禁!です)ので、ガスが落ち着くまでは電源を入れないようにしようと思い、逸る心を抑えて掃除に専念しました。おかげで,新品同様に磨き上げることができました。
 今夜は、試運転です。まず、何を入れようか?と、考えましたが、やはり商売柄“牛乳”にします。スーパーで今まで買えなかった1ℓのパック入り牛乳を買って帰ります。

2006/05/22

2006.5.21 -1410 「yayoi の手形が! ~今まで気がつかなかったこと~」
 5月の週末は、東京に帰る予定だったのですが、土曜日の夜、千葉から東京に向かう電車に乗る気が起きず、保田に戻りました。
 朝起きて、保田にいて大正解!久しぶりの好天です。さっそく布団を干して、外に出ました。鋸山に向かって歩きましたが、日本寺の山門のところで引き返し、帰りは海岸を家まで歩きました。約6km、90分の散歩でした。
 洗濯物を干してから、自転車で買い物です。スーパーまで10分。昼間の買い物は自転車で十分です。まぁ、晴れていれば(雨が降っていなければ)という条件付ですが。
 昼に食事をしてからは、家の周りの草取りをしました。小さな鎌を買ってきたので、作業は順調に進みました。と、水栓の周りのコンクリートのたたきに小さな手形が押してあるのを発見!前のオーナーがコンクリートをうったことは、出来の悪さからも一目瞭然なので、この建物を別荘として建てた15年前からそう遠くない時期に、子供が記念に押したのでしょう。
 などと思いを巡らせながら眺めていたら、手形の上に“yayoi”の文字が刻まれているではありませんか!私の子供の名前が、実は“弥生”です。偶然の一致ではありますが、ちょっと複雑な気持ちがしました。
 外の水栓は、今まで何度も使っていましたが、これまで手形とサインには全く気がつきませんでした。小さい時は両親に連れられて、何度もこの地を訪れたに違いありません。時が経ち、足が遠のいた別荘。そこが、今の私の居場所です。女房は何度か来ましたが、子供は一度も来ていません。
 そう言えば、玄関ドアの銅線で作った“101-1”は、もう錆びていて、何年も前からそこにあるような貫禄になってしまいました。海で拾った緑色のウニの殻はいまだに健在ですが、「なんで、こんなものがここに付いているのか?」そのうち、誰もわからなくなってしまうのでしょうね。

2006/05/14

2006.5.14 -1417 「有南無は51歳になりました~目と歯と...がボロボロ~」
 またまた東京に帰っております。連休中に歯が取れてしまい、毎週土曜日に東京の(行きつけの)歯科に通院することになりました。
 今日は、私、有南無の51歳の誕生日。かつ、母の日。でも、一日女房と二人きりでした。二人だけなら、却って楽しいのでは?と、少し思うこと(期待)もありましたが、何ということもなく一日が終わりました。
 目と歯が悪くなったのは、本当に残念ですが、気がついたらパワー減退!もう、男じゃない!?実は、今日フリマの会場まで自転車で行ったのですが、それだけで疲れてしまいました。買ったのは、居南無 風流家で使えるもので、JALの機内にあるスリッパだけ。(2足に豚のぬいぐるみを合わせて80円!)残念ながら、鍋は出ていませんでした。
 息子の初任給で、鍋かケーキ用のボールでも買ってもらおうかな?(娘からの誕生日のプレゼントは図書券でした)  

2006/05/07

2006.5.7 -1424 「居南無 風流家の名刺を作りました」
 5日間の連休(4月の連休も入れれば7日も休みが続いたの)に、やったことといえば、スコーンを作っただけ。保田にいれば、いろいろやることがあって一日中動いているのに、東京に戻ると家人が何もかもやってくれるので、“濡れ落ち葉状態”になってしまいます。
 やはり、周りに頼りすぎていると自立できないことが良くわかります。
 今日は天気が悪く、外に出られなかった(出る気がしなかった)ので、パソコンで居南無 風流家の名刺を自作しました。作り方は至って簡単。年賀状作成ソフトで作ったレイアウトと先日作った表札のデザインを合体させて、名刺サイズに切れ込みの入った専用紙に印刷するだけです。
 プリント位置を正確に調整しなかったので、上下にずれてしまいましたが、それでも表は保田の海をバックに文字が浮き出ているし、裏には居南無 風流家の営業内容が記載されています。
 まだまだ夢物語の域を出ませんが、思わないことは実現しません。いえ、心の中で思っても、他人に表明しないことはなかなか実現しません。とにかく表明しておかないと、将来夢が実現した時、客観的に認知されません。
 誰に配るという当てのない名刺ですが、娘二人の机の上にそっと置いておきました。今、女房にも渡しましたが、反応は今ひとつ。じっと見ていましたが、ノーコメント。呆れているのかな?

2006/05/06

2006.5.6 -1425 「スコーンを焼く~杜海(フォレシー)のメニュー第1号~」
 居南無 風流家は、4年後の開業をめざしています。一番やりたいのは、ワンタン屋です。名前(屋号)は、“一舌(ワンタン)道 花恋(かれん)”に決めています。しかし、いきなりワンタンは、かなり危険。マイナーなメニューは、成算がありません。そこで、茶話処(さわどころ) 杜海(フォレシー)が生活の手段として必要になります。
 茶話処となれば、お茶にお菓子、紅茶にケーキ、コーヒーに...?はつきものです。そこで、お茶にも紅茶にもケーキにも合う食べ物ということで、スコーン(scones)に注目しました。
 題して、Hot a scone(ホット・ア<保田>・スコーン)。スコーン生地を使って、一工夫したいといろいろ考えながら、オリジナルメニューを確立したいと思っています。まだ、1400日以上あるから、100~200回は、試作できるはず。
 とりあえず、昨日今日と2回(少しレシピを変えて)作りましたが、二人の娘の評価はまぁまぁ。女房は、べた誉め。まぁ、タダで食べる人の評価が甘いのは、致し方ないところ。自己評価は“これでは出し物にならない!”ですが、簡単にできるので、出来たてを食べてもらえるし、お土産に持ち帰っても、温めなおせばおいしく食べられるスコ-ンは、まだまだ研究の余地があるメニューです。

2006/05/04

2006.5.4 -1427 「庭に植物を植える~土がない!?~」
 ゴールデンウィークは東京にいます。でも、2日の朝は保田にいたので、早く起きて、南天と木ヅタ、それに山から取ってきた雪ヤナギを植えました。
 ところが、土にスコップの先が触れた瞬間、ガツーン!手も痺れたが、心もショック状態でした。砂の中には石ころと瓦礫だらけで、土がありません。かろうじて、先だって草取りをした場所には、土がありました。そして、取った草は少し腐ってきました。そこで、穴を掘って(と言うよりは、石を取り除いて)腐った草と土を入れて、何とか植えることができました。
 今まで、どちらかといえば山寄りで暮らしてきたので、土はあるのが当たり前と思ってきました。居南無 風流家では、土は一から作るものなのですね。
 東京に戻って2日目。今日は、神代植物園に行きました。自転車で30分ちょっとです。自然は、風流家の周りの方があることはまちがいないのですが、安らぎの空間は東京に軍配が...多様化して相互依存が希薄になっている都会は、やはり暮らしやすいかも...でも、それは私が東京生まれの東京育ちだから?

2006/04/29

2006.4.29 -1432 「アクアライン経由のバスは便利!~だが、東京は人もクルマも大渋滞~」
 昨日、2週間ぶりに東京に帰って来ました。職場を早く出たので、袖ヶ浦バスターミナルから6時台の品川行きに乗ることができました。乗ってわずか15分で東京都の看板を通過!しかし、都内の首都高速は全部真っ赤の渋滞マーク。“空港中央から飯田橋まで90分”という表示が出ていたので、予定時間(50分)から大幅に遅れると思っていたのですが、品川行きは大井南で一般道に出るので、1時間ちょっとで到着。ホッとしたのもつかの間、品川駅は人人人の大混雑!
 山手線では、運良く目黒から座れたものの、混んでいる車内で立ったままノートパソコンを開いている人や、酔っ払ってしゃがみこんでいる人など、たった1ヶ月弱通勤地獄から離れていただけで、耐えられない不快感を感じました。
 高田馬場からの西武新宿線急行はもっと混んでいて、発車前のホームからすでにラッシュ状態。肩から大きなブリーフケースを掛けたまま週刊誌を読んでいる中年(50代?)を見るにつけ、不快感はピークに達しました。
 小学校から高校までの12年間と先月までの18年間東京のラッシュを経験してきたのですが、わずか1ヶ月のブランクでギブアップ!東京に帰ってくるのが億劫になりました。

2006/04/28

2006.4.28 -1433 「浜でお宝ゲット!~海岸は宝の山?~」
 毎朝、赤い帽子・赤いジャンバースタイルでゴミを拾って、半月以上になります。今までに、ゴミの他に龍の骨?とか石鹸台など、面白いものや使えるものを拾いました。が、今週ついに本当のお宝をゲットしました。
 それは、“-”の部分です。といっても、意味不明ですが、銅線で“101”と“1”は作ってみたのですが、どうしても“-”がうまく作れなくて、ドアの住居表示の製作を中断していることは、前にお話しました。ところが、海岸で“-”を見つけたのです。それは、渋い緑色のウニかヒトデの抜け殻?なのですが、“101“と“1”の間に入れる“-”の代わりになる“・”印としてすばらしいデザインでした。
 早速、“・”前後の数字を、銅線を曲げて作り、水曜日の朝、ドアに接着しました。覗き窓と“・”の位置を一直線に揃えたので、数字が真中に配置できず、ややバランスに欠けていますが、それでも、そのデザイン感覚の欠如をものともせず、“・”の存在が光っています。まさに“海の家”である居南無 風流家にふさわしい“・”です。
 それから、実はもう一つ、お宝をゲットしたのですが、これは秘密です。砂だらけだったので、きれいに洗ってしまってあります。1ヶ月足らずで、こんなに楽しい思いをさせてくれる保田の海岸は、まさに宝の山です。

2006/04/24

2006.4.24 -1437 「ドアはインディゴブルー ~ポストに居南無 風流家~」
 土日は、風流家でじっくり作業をしました。土曜が好天、日曜が雨との予報だったので、土曜日に玄関周り、日曜日に部屋の中で大工仕事と予定を立てて...
 土曜日は、春には珍しくすばらしく澄んだ空気で、富士山と伊豆大島が一日中くっきりはっきり見えました。早起きしてバイクで風に当たってきました。それはそれは、良い気分でした。さらに、志駒もみじロードという千葉県一のワインディングロードをゆっくり走って、マイバイクのラストランを楽しみました。
 実は、もう一台、バイク屋に1年以上動かないまま預けてあるバイクがあり、それを生き返らせるために、今のバイクを売る事にしたのです。
 午前中、目一杯遊んだので、午後は仕事です。前日にインディゴブルーの塗料を買っておいたので、早速塗ってみると、思ったより薄く明るい色だったので、ちょっとがっかり...しかし、全体を塗って、乾いてから見てみると、まぁ普通の青よりはまとものような気もしてきました。
 その後、ポストを磨いて、先週作った紙製の表札を貼って玄関周りは一応完成!本当は、ドアに住居表示(101-1)を付けたかったのですが、どうしても“-”の部分がうまく作れなくて、作業を中断しているので“一応”の完成というわけです。
 日曜日は、予定通り雨。2回の洋間を作業場にして、インターネットオークションで手に入れた電気ノコギリとドリルドライバーを駆使して、パソコンのテーブルと電子レンジの台を作りました。我ながらうまくできたと思いましたが、部屋に散乱(充満?)したノコ屑に気がついて呆然!製作時間より後片付けに時間を費やして、結局終了したのが午後8時。へとへとになって2日間の休日が終わってしまいました。

2006/04/16

2006.4.16 -1445 「名刺?~表札のようなものをデザインする~」
 週末の作業として、買出しと表札づくりをしました。
 買出しは、ドアの上塗りとして選んだ油性ペイントに紺色がないので、完結しませんでした。
 表札(ポストに貼る住居表示)は、Hot a Cleaner のトレードマークである赤い帽子を、デザインに取り入れようと思いましたが、絵心がないので、断念。結局、自転車でエアストリームを引っ張る有名な絵をパクリました。
 メインは“居南無 風流家”のロゴですが、これを「きょなん、フルハウス」と読んでもらうための工夫が必要です。英語表記ではどう書くのか?よくわかりませんが、Kyonum Fullhouse にしました。Kyonann は、ローマ字表記ですが漢字の読みとしては無理があります。むしろ、autumn のように Kyonumn とした方が、読みとしては一番近いかも? とにかく、“無”には m を当てたかったのです。
 まぁ、今度は、漢字で住所も名前も書きましたので、配達する人には親切だと思います。でも、ちょっと見は、大きなサイズの名刺のようで...いっそのこと、このデザインで名刺を作ろうかな?

2006/04/15

2006.4.15 -1446 「テレビのある生活は時間がない!~テレビがないから見えてくる~」
 二週間ぶりに東京に帰ってきました。久しぶりに、JEF千葉のテレビ中継(MXテレビ)があるので、午後4時から、テレビでサッカー観戦。それからは、テレビの前から離れられなくなりました。
 結局、寝るまでテレビ漬け。このパターンは週末の定番で、今までは何の疑問も感じませんでした。しかし、テレビのない風流家の週末を体験したら、テレビに時間を吸い取られてしまっているこの生活には、「明日を考える時間がない。」ことが、よくわかります。
 何もないと、「明日は、何をしよう?」と考えます。それに、日中は何か仕事をして体を動かしていますから、遅くない時間に眠くなってきます。「明日は、起きたら、〇〇をしよう!」と思いながら、眠りにつきます。実に、健康的な週末です。
 来週は、風流家の玄関ドアを紺色に塗って、ポストをリニューアルして...テレビがないから、やることがいっぱい!です。
2006.4.14 -1447 「表札を出す~居南無 風流家を掲げられず!~」
 仕事に少し慣れてくると、仕事が増えてくるものです。で、帰りが遅くなる。食べて寝るのがやっと。という状態が続き、ついに4日間も空けてしまいました。
 5日ぶりに書いているわけですが、どうも筆が先に進みません。
 
 風流家の玄関は、ドアがサビ止め塗料で赤錆色になったままです。それでも、離れて見れば、以前のサビだらけの白いドアよりはずっとまし。ですが、右側には、以前の表札を剥がした後がくっきり。左側のポストはステンレスですが、なんとなく不恰好というか殺風景なデザインです。
 そこで、仕事で使っていた、アリスの“猫”の下敷きを、表札代わりにしました。金色のバックに黒い目つきの悪そうな猫の絵。とても、表札のようには見えませんが、余白(余金?)に油性マジックで、名前と住所を書きました。
 本当は、“居南無 風流家”と書きたかったのですが、下敷きのデザインは“黒猫と英語の文字”なので、感じはちょっと似合いそうにありません。それに、居南無 風流家は、地元の人には、全く理解してもらっていませんので、いきなり書いても...は、言い訳で、やはり少し恥ずかしいのです。
 ドアに「101-1」の住居番号を貼った後、ポストをリニューアルする時、“居南無 風流家”をデビューさせるつもりです。

2006/04/10

2006.4.9 -1452 「夕方の浜で~太陽をお見送り~」
 金曜(7日)の夜に、女房が保田に来ました。「私がどんな暮らしをしているか、女房は心配しているはず(?)。それなら一度、見せておいた方がいい。」と思い私が呼びました。すでに、ホームシック?
 おかげさまで、土曜日に、集会場に集まっている地区の人に、二人で挨拶ができたので、ホッとしました。区長さんにもお目にかかれたし(今まで区長さんだと思っていた川崎国男さんは、組長さんでした!)、同じ区の人が誰かもわかったので、さっそくお菓子を調達して挨拶に行きました。
 これで、一件落着!と思ったら、国道を挟んで斜め前の家(同じ区ではない?)の方がこちらを見ているのです。やはり、区は違ってもお隣付き合いははずせないと思い、もう一度お菓子を買いに行って挨拶してきました。あっさりと受け取ったので、もう噂は広まっているのでしょう。挨拶して良かった!
 結局、女房は、家中の掃除をして(私は、外の草取りと、玄関ドアの錆止め塗料を塗りました)、日曜の夕方に帰りました。「すぐに、汚しちゃうのに...」と思いながらも、「その繰り返しに耐えられるのが、女房の女房たる所以か?」と感心しました。
 保田の駅で、電車に乗る女房を見送ってから、夕方、浜に行きました。日中の風で、埃が舞っているせいか、空が霞んでいましたが、西の空に沈む太陽を見送ることができました。
 自分が止まって、周りを見送る。これからの私の生き方を象徴しているようでした。

2006/04/07

2006.4.7 -1454 「転入手続き完了~田舎のルールに、えっ?~」
 ついに、連続投稿が途切れました。まぁ、週末に帰京しない限り、風流家にはインターネット環境がありませんので、どの道途切れるので、しかたがないのですが、やはり、残念です。
 昨日は、半休して、転入届を出してきました。これで、名実ともに居南無 風流家の主です。隣駅の勝山に鋸南町役場があるので、午前9時に出発。早速、届けを出しました。そして、水道課で開栓手続き(手数料1000円)を支払い、街づくり推進課でトイレの水洗化(合併浄化槽の設置)について聞き...
 その隣の課で、風流家の南側にある、町道の側溝の蓋が壊れているので、修理をお願いしたら、何か対応が変です。嫌がっているのか、怒っているのかよくわかりません。が、私が言っていることで、役場の職員が不機嫌になっているのです。
 「そういうことは、区長さんを通じて言うことだ。」というのが、田舎のルールだそうです。風流家の前の持ち主も東京の人で、区に入っていなかったので「蓋が壊れたら町に頼めば、直してくれる。」と教えてくれたのでしょう。
 手続きが終わって、住民票をもらって、「運転免許証の住所変更をしたいのですが、警察署はどこですか?」と聞いたら、「鋸南町には警察署はありません。館山まで行ってください。」ガーン!往復1時間かぁ。
 で、館山警察まで行ったら、「県外からの住所変更には、写真が必要です。」ガーン!聞いてないよ。
 とにかく、田舎のルールと不便さに、今更ながら驚き、「これが田舎なんだ!」と妙に納得しました。

2006/04/05

2006.4.5 -1456 「浜で地元の人と話す~みんな川崎さん~」
 昨夜から降り始めた雨。朝も降っていました。「今日は、Hot a Cleaner 止めようかな?」と、メゲかかりました。でも、今日行かないと、一日で終わってしまいそうな気がしたので、一応、浜へ。
 昨日より少し遅く行ったら、小雨の中、海岸で焚き火をしている人が。「昨日の焚き火の跡は、遊びじゃなかったのか?」と、思いながらも、近くによることもできず、あわてて近くのゴミ拾いを始めました。
 赤い帽子とジャンバーが変だと思ったのか、それとも業者かと思ったのか、赤いTシャツを着た焚き火のおじさんが近づいてきました。「昨日、引っ越してきました。何かお役に立てればと思いゴミを拾っています。」と、怪しいものでないことを力説したら、余計変な言い訳になってしまいました。苦し紛れに名刺を渡しました。
 「私は、そこのピンクの家。スナック“愛”を女房がやっている、川崎です。」...そう言えば、区長さんも川崎さん。道の反対側のお店(与市商店)も川崎さん。「浜区は、ほとんどが川崎です。」とのこと。で、みんな屋号で呼んでいるそうで、スナック“愛”の川崎さんは、“よろずや”だそうです。
 私も、いつか、屋号で呼んでもらえるようになりたいなぁ。その時は、“半兵衛”にしたいのですが、勝手に屋号って決められるのかな?
2006.4.4 -1457 「Hot a Cleaner 始動!~赤い帽子で初めてのゴミ拾い~」
 午前6時起床。5時を過ぎると、風流家前の国道を車が通り始めるので、眠りが浅くなります。さわやかな目覚めというわけにはいきませんでしたが、緊張しているせいか、心配していた寝坊は大丈夫でした。
 食事の支度ができないので、出かける前に、電気掃除機で全館清掃を行いました。
 そして、ついに、保田海岸に出陣!赤い帽子に赤いジャンバーに着替えて、砂浜へ。ゴミはたくさんあるのですが、どれをどうやって拾うか、ちょっと躊躇しました。それでも、いくつか拾って、その中にちょっとお宝も見つけて、証拠にデジタルカメラで撮って...Hot a Cleaner の初仕事は、何とか終了しました。
(別件)昨日、点かなかったガスは、業者に見てもらって、異常なしとのことで、ほっと一息。長期間使わなかったことによる、異常サインの点灯と、ガス管の中に空気が入り込んだことが原因でした。
 風呂に入れた喜びと、風呂場の汚さのギャップに、思わず、裸のまま風呂場の掃除を始めてしまいました。その後、ご飯が炊けるまでと思い、全館の拭き掃除にまでエスカレート!ところが、ご飯が炊き上がってからも、延々と掃除が続きました。
 私は、本当に“磨くのが好き”なんですね。

2006/04/04

2006.4.3 -1458 「ついにスタート!~真夜中のオープン~」
 辞令交付、会議、挨拶回り、新任地赴任、研修生オリエンテーション、所内の机の配置換え...と、何がなんだかわからない一日を過ごして、職場を出たのが9時過ぎ。50kmの道のりは、順調に流れていても、1時間以上かかりました。途中、食事をしようかとも思いましたが、「スーパーが遅くまでやっている。」と言われたので、保田までノンストップ!で、お目当てのスーパーは、9時45分まで。すでに閉まっていました。
 海岸に出て、妻に到着の電話。遠く三浦半島の灯りが輝いている中で、「けっこう、いい感じ!」でした。その、勢いで、風流家に到着。
 電気“よし!”、水道“よし”、ガス“...”ん?点かない!ガスは出てる感じだ(シューッと音がする)し、点火の火花も飛んでるのに...。困った!が、もう11時近く、外でガチャガチャやると隣に迷惑だし。ということで、ガスは断念。ということで、風呂はもとより、料理はおろかお茶も飲めないという、記念すべき真夜中のオープンでした。
 で、食事はどうしよう?やはり、何がなくても食い物だけは...ということで、思いついたのが、レトルト食品(ご飯とハヤシ・ルー)。電子レンジで暖めて、寂しいオープニングディナーとなりました。せめて、少しはディナー気分ということで、ワインの代わりに温い缶チューハイを飲みました。
 布団を敷いたのが、午前零時半。ちょっと酔ってるかな?という気分と、もはや限界の体力。おかげで、爆睡することができました。やれやれ。

2006/04/03

2006.4.2 -1459 「準備完了~緑の巨大なバックパック~」
 ラストチャンスの2日間。一日は、花見に費やしてしまいました。今日は、張り切って旅立ちの準備を...するはずだったのですが、「明日からの新しい仕事の支度もしなければ...」という強迫観念から?朝からずっと、動きが悪いままでした。
 結局、午前零時を過ぎてから、何も考えずに、その辺に散らばっている荷物を、緑の巨大なバックパックに詰め込んで...何とか、明日出発する準備ができました。
 この緑のパック。十年近く前に、「バック一つ持って家を出るとしたら、このくらいの大きさが要るなぁ。」と思い、大好きな緑のバックが安売りされていたので、衝動買いしたものです。それが、いよいよ役に立つなどとは、思っても見ませんでした。しかも、目的が、購入当時のままなのです。
 保田に行ったら、海の時代。今までの山の時代は、イメージカラーが緑で好きな色と一致していたのですが、海はやはり青ですよね。緑から青へ。明日は、緑の巨大なバックパックで、緑の時代から、青の時代へ夢を運びます。

2006/04/02

2006.4.1 -1460 「花のお江戸~東京見物~」
 50年以上東京で生きて、初めて“お花見”を目的に東京を歩きました。私は、東京で3代目になるので、一応江戸っ子。都内は何処でも知っているという訳にはいきませんが、高校生までは、文京区に12年間通っていたので、新宿・池袋は良く知っています。もちろん、中野~吉祥寺はホームグランド。
 というわけで、中央線で行く「お花見ツアー」に妻と出かけました。
 とにかく、明日の天気が悪いという予報なので、今日が最高の人出になることは確実。午前中が勝負!ということで、9時に出発しました。
 まず、上智大学の百本桜を見て、麹町から半蔵門へ。内堀から北の丸公園を通って、日本武道館・靖国神社の横をすり抜け、外堀通りへ。市ヶ谷から四谷まで外堀と中央線(快速と緩行線)を見ながら「18年間、良くぞ毎日、ここを通ったなぁ。」と感激しました。北の丸公園で昼食を取る頃には、もう黒山の人!靖国神社前の横断歩道には、身動きが取れないくらいの人がいました。
 みんなと進む方向が逆なので、脇道をすいすい通って、ハイキング気分で歩けましたが、昼近くに九段下をスタートした人は大変だったと思います。それでも、桜の名所といえば「千鳥ヶ淵」、みんな行くんですね。
 帰りに、私だけ、買い物のために、千駄ヶ谷で下りて、混んでいる新宿御苑とは逆の東京都体育館裏を通ったら、神社の桜が見事でした。こういう所で、ゆっくりお花見する人は幸せですね。
 そういえば、我が家の周りにもすばらしい桜の木がたくさんあります。
 みんな、花見ではなく、花見の混雑を味わいに行くのでしょうか?

2006/04/01

2006.3.31 -1461 「さようなら成東町」
 ついに最後の通勤。中央線の車内からは、春にはめずらしく、くっきりと凛とした富士山が見えました。「東京から見る富士山もこれが最後か...」と思うと、ふと「なごり雪」の歌詞が頭に浮かびました。「東京で見る雪は、これが最後だと、...なごり雪の降ると時を知り、大人になると気づかないまま、今、春が来て君はきれいになった。」
 成東駅に着いて、1年間自転車と原チャリの面倒を見てくれた、駐輪場の整理のおじさんに、お世話になった御礼を言ってから、「なごり雪」を口ずさみながら、自転車で走ると、八部咲きの桜に囲まれた浪切不動院の赤い色が一際輝いていました。「そう、1年間でうちのスタッフもおとなになったなぁ...」
 さようなら、成東町!(実は、3月27日で成東町も合併でなくなり、山武市『“さんむし”と読みます』になりました)
 そうだ!明日は、女房と桜を見に行こう!明日は、東京ともお別れしよう。なごり桜、なごり都。
 そして、ありがとう、さよなら!

2006/03/31

2006.3.30 -1462 「ローン入金?~連絡なし!確認せず!~」
 27日に契約した住宅ローン。今日、人金のはずなんですが、銀行からは何の連絡もありません。女房に至っては、入金日であることすら忘れていました。
 当面使う当てのないお金なので、どうしても今入金してもらわないと困るというわけではありませんが、銀行からの連絡がないのは、少々気になります。確かに、ローンの金額としては、あまりに小額ですが、いくらでも、お金はお金。お金の商売をしている銀行が、お客とお金を大切にしないのは腑に落ちません。
 この銀行、始めから、好きではありません。「貧乏人は麦を食え!」とは、昔の首相の言葉ですが、「貧乏人は、一流銀行の門を叩くな!」という態度が見え見え。の、取引銀行名は、MTUFJです。

2006/03/29

2006.3.29 -1463 「軍議は戦わず~本日、休戦!~」
 今日は、年度末恒例の管理職会議が開催されました。仕事のことは、できるだけ触れたくないのですが、疲れました。午後2時半から、わずか2時間の会議。その後は、定年退職を迎える先輩の歓送会というお決まりのコース。
 会議の内容も、来年度へ向けて各事業所の代表が、所信を表明するとともに、事業目標を掲げるというもの。通り一遍の、他の事業所の抱負を聞いても、参考になるアイデアはないし、「軍議は戦わず」を実感しました。この先が思いやられます。
 ということで、まったく頭が働かないので、本日はおやすみ。書くのを止めることにします。
2006.3.28 -1464 「水道の開栓手続き完了!」
 土曜日にインターネット経由で東京電力に送電開始の手続きをしました。24時間受け付けるサービスで、なかなか簡単・便利でした。もちろん手数料なし。
 今日、鋸南町役場の水道課に電話をして、水道の開栓手続きOK!こちらも、とても簡単でした。ただし、開栓手数料が千円かかるとのこと。これから使ってくれるお客さんから、使用開始時に手数料を取るというのは、理解に苦しみます。受益者負担とでもいうのでしょうか?有料にしないと、いたずらに開栓・閉栓を繰り返す危険性があるとも思えないし...
 東京電力とは、かなり考え方が異なる公営事業に???
 (追伸)今日、愛車(ミセスの原チャリJOGポシェ)が、鴨川にお嫁に行きました。4年間5千キロ、ありがとうございました。

2006/03/27

2006.3.27 -1465 「住宅ローン契約しました」
 今日は、東京で10時から会議だったので、朝8時に銀行の副支店長を呼び、住宅ローンを契約しました。
 申し込みは、12月中にしてあったのですが、本人立会いの下で契約すること。土日は契約書を保管する金庫が開かないので平日。と、いう条件をクリアできる日がなく、結局、ギリギリの今日になってしまいました。
 別に、金が無かったわけではありません。しかし、職場の住宅手当を受給するためには、賃借かローンの支払いが必要でした。保田から通う場合、公用車を使用できるので、通勤手当は出ません。(東京から成東に通うのには、5万円以上の通勤手当が出ました)
 そこで、月3万円以上の返済ができる金額を借りることにしました。しかも、“その日”までに完済できるような期限ということで、4年ローンという変則的な期間を設定しました。利率は、たったの(?)1.1%!それでも、今日突然、0.1%上がるというのです。(12月の時点では1%ということでした)
 しかし、利率はわずかでも、ローン設定の手数料(約4万円)と物件に抵当権を設定するための手数料と4年後に抵当権を解除するのに必要な手数料を加えると、銀行に約15万円以上払うことになります。借りた額は、わずか160万円ですから、約10%の経費。年率2.5%です。
 これって、通常のローン金利くらいかな?で、4年間の住宅手当は、3.2万円x(48ヶ月-1ヶ月)(4月は書類の提出が間に合わず、手当てが出ません)で約150万円だから、まぁ、こんなもんかな?
 金がないっていうわけじゃないといいながら、結構細かいことをしてしまいました。結局、“その日”までは、風流家は完全に自分のものじゃないという縛りと、4年間という期限をどこかに宣言するために借りたんです。でも、何となく、気分が悪いなぁ。他人に金を借りるのは嫌いです!

2006/03/26

2006.3.26 -1466 「この道は?~いつかきた道~」
 午前4時15分起床。4時30分出発。青梅街道を新宿方面へ。歌舞伎町前の横断歩道には、始発電車に乗るために駅へ向かう人で、黒山の人だかり。靖国通りでは、桜が3分咲き。そのうち小雨が降ってきました。
 午前6時頃、千葉を通過。市原に入ると、工場の白煙が目に付きます。思わず、車内の換気を外気導入から、室内循環に変えました。
 今から、28年前の春、君津市にある研修所に行くときも同じ道を通りました。千葉から先はものすごい渋滞で、工場からは異臭が漂い、「なんで、こんなところにきたんだろう?」と思いました。
 「絶対に千葉県人にはならない。ここは、私の住むところではない。」と心に決めました。
 あれから、30年近く経ちました。結局、ずっと千葉で働いてきましたが、最初の10年間は千葉の住民でしたが、本籍は東京。その後の18年を通じて、心は東京人でした。
 そして、同じ道を、一人、千葉(保田)を終の棲家と心に決めて、車を進めました。
 上総湊を過ぎると、懐かしい風景。鴨川に住んでいた時、よく遊びにきた所です。
 午前7時過ぎに保田に到着。しばらく海岸の駐車場に車を停めて、海を見ていました。雨はやみ、雲の間から朝日が射していました。
 いつかきた道(実はよく通った道)ですが、今日は違いました。もちろん、満載した荷物を降ろした後は、東京に戻りましたが、心は居南無 風流家に残してきました。

2006/03/25

2006.3.25 -1467 「墓穴を掘る?~自分だけの引越し~」
 風邪が治りきらないまま、車に風流家に運ぶ荷物を詰めました。積んだというより、まさに詰め込み!オーディオ、パソコン、ソファー、椅子...の隙間には、本やこまごまとした物をギッシリ突っ込みました。後ろも全然見えないし、助手席にも荷物がいっぱいです。
 前回(2月)に運んだときは、女房も一緒でした。今回も、最初は、一緒に行くといってくれましたが、自分ひとりで荷物を積んだのだから、自分で降ろせるはずなので、一人で行くことに決めました。(前回は大きな机と洗濯機があったので、一人では持てませんでした。)
 風流家はしばらくの間、単身赴任用住宅です。
 自分のことは自分でやる。自分の旅立ちのしたくは自分でします。何か、自分の墓穴を自分で掘っているようで。しかし、ここで家族に甘えては、旅立ちとはいえません。自分で選んだこと。これでいいんです。
 自分だけの引越しは、明日です。
2006.3.24 -1468 「新たな世界への旅立ち~それは別れから始まる~」
 長男が卒業後(就職前)に一度上京しました。一昨日来て、今日帰るとのことでした。昨夜は、私の帰宅が遅く、風邪のため体調不良だったこともあって、たいした話もできませんでした。
 これで、しばらく会えないなと思っていたら、私が出かける時に息子が起きてきました。握手して別れましたが、かえって「これが別れ(親離れ、子離れ)だな。」という思いが強くなりました。
 子供たちが乗っている時間列車に、私がいっしょに乗りつづけることはできないのです。私が時間列車から降りた時、私の周りの風景が止まります。きっと、これが死ぬことかも?
 今は、子供の乗る快速列車から普通列車に乗り換えたような気がします。子供との距離はだんだん(どんどん?)離れていきます。次は、ホームに降りるのでしょう。そのとき時間が止まります。でも、今はまだ、ゆっくり進んでいるようです。
 4年間、私の足になってくれた原付バイクから、今日ナンバープレートをはずしました。次の職場までは、居南無 風流家から車で通勤するので、バイクは要りません。
 あれば、何かと便利かな?と思っていましたが、「無くても困らないものは捨てる」と、気持ちを強くして手放すことにしました。しかし、捨てるのは忍びなく、鴨川の友人に引き取ってもらうことにしました。28日には、私の手元を離れます。
 新しい世界へ旅立つ時、別れはつきものですね。

2006/03/24

2006.3.23 -1469 「市原市に転勤が決まりました」
 4月1日付の異動について、今日、内示があり、市原市天羽田にある職場に転勤が決まりました。居南無 風流家から約50km。車で1時間以上の距離です。でも、午前7時に出れば、インタイム(8時半)に到着するので、今(午前5時半出発)よりは、かなり生活環境が改善します。
 朝、東京湾を見ながら仕事に行く。晴れた日は、伊豆大島や富士山が見える。7時前に家を出て、まず、海で一休み。ゴミを拾うというのはどうでしょうか?ラジオ体操よりは、精神的にも肉体的にも健康な感じがします。

2006/03/23

2006.3.22 -1470 「風邪のため体調不良」
 本日の投稿をお休みします。

2006/03/21

2006.3.21 -1471 「鋸南町は一人ぼっち?~南房総市誕生!~」
 昨日のニュースでしたが、平成18年3月20日、南房総市が誕生しました。
 安房郡内では、昨年2月11日、天津小湊町が鴨川市に吸収され、郡内の町村は8つになりました。千葉県内では、平成の大合併と称して、市町村合併が進んでいます。安房郡内でも、安房9市町村合併協議会が設置されましたが、館山市が抜け、安房8町村合併協議会となり、最後は鋸南町が抜け、安房7町村合併協議会(http://www.town.tomiura.chiba.jp/awa7gappei/)を経て、南房総市(http://www.city.minamiboso.chiba.jp/www/toppage/)になりました。
 これで、安房郡内は鴨川市、館山市、南房総市と鋸南町の3市1町になりましたが、市制をしいている3市は安房郡を離れますので、安房郡を冠する町村は鋸南町(http://www.town.kyonan.chiba.jp/)だけとなります。
 なぜ、取り残されたのか?なぜ、小さな町として生き残ることを決めたのか?
 安房郡内には、私の最初の任地だったこともあり、知人が多くいます。いろいろな話を聞きますが、本当のところは、住めばわかる?(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%88%BF%E7%B7%8F%E5%B8%82)
 とはいえ、私にとっては、小さな町もビジネスチャンス。(その理由は、もう少し時間がたってから話しますが)で、今のところは良いことだと思っています。
2006.3.20 -1472 「お金じゃ買えない居場所~高い?安い?~」
 自分の居場所には、お金では買えない価値があると思います。でも、買うにしろ借りるにしろ、手に入れるためには、お金が要ります。
 ちなみに、居南無 風流家は、650万円でした。土地が坪15万円で30坪として450万円。建物が坪40万円で20坪として800万円。築15年で、年5%ずつ減価するとして、75%減価で200万円。土地と建物の合計で650万円。という、自分なりの評価にピッタリ!です。
 しかし、実際の土地は28坪。これだけで、30万円は安くなるはずです。とすると、620万円。交渉次第では600万円になったかも?まぁ、売主の680万円という希望価格と、私の評価額の620万円の中間値である650万円は、納得できる妥当なセンだと思います。
 とはいえ、自分がそこで生きようと決めた居場所は、お金の額(の多少)ではありません。金では計れない価値があるのです。手放す人にはそれなりの理由があったと思います。しかし、私は、ここで暮らすことに決めました。居南無 風流家は、私にとって、終の棲家にふさわしい居場所です。
 現在の仕事を続けている間は、単身赴任用住居として。仕事を辞めたあとは、自分の仕事場として。「75歳まで住めればいいな...」と、思っています。

2006/03/19

2006.3.19 -1473 「居場所を買う~個人売買で手に入れました~」
 インターネットで偶然見つけた物件。買おうと決めてから、相手にメールを送りました。幸い、購入意思のある人からの連絡は私が初めてだったようで、好意的な回答が来ましたのでホッとしました。
 しかし、大きな買い物など今までしたことのない私が、中古物件の土地と建物を、しかも個人取引で買うということには、ものすごいプレッシャーがありました。
 幸い、“不動産個人売買”というキー検索で、「エコライフ」:全国田舎不動産個人売買物件情報と売買契約書の作り方、田舎不動産の非常識など個人取引のための不動産基礎知識(http://www.ecolife.jp/)というサイトがヒットできて、大変助かりました。(実は、娘が宅建主任で不動産関係に勤めているので、教えてもらいました)
 相手に恵まれたから、うまくいったのかもしれませんので、個人売買を薦める気はありませんが、経費的には節約ができました。(付帯経費は、司法書士に払った移転登記費用を含めて10万円以下ですみました。もっとも、まだ、不動産取得税は払っていませんが)
 8月末に、一度物件の前を車で通って、10月に内覧、その後すぐに購入意志を伝え、11月上旬に契約(頭金1割)、12月14日に残金支払いとともに物件引渡し・移転登記と、慌しく(3回現地に行っただけで)保田に居場所を買ってしまいました。
 平成17年(2006)12月14日、居南無 風流家が誕生したのです。
2006.3.18 -1474 「私が保田に居場所を決めた理由(わけ)」
 やはり、富士山が見えること。子供のころは、東京から富士山が見えました。鴨川からも、君津からも富士山が見えるところがありました。そして、東京から通勤するようになっても、早朝冷え込んだり、風が強かったりすると、中央線や総武線から富士山を見ることができました。
 私は、いつも富士山に守られているような気がしています。保田から見える朝の富士山は、朝日に照らされてきっと赤く輝いているに違いありません。そして、夕方は富士山の後ろに太陽が沈んでいくと、富士山のシルエットが浮かび上がってくるはずです。
 さらに、土地も建物も小さいこと。ル・コルビュジェの「最小限住宅」を知ってから、大きい建物や広い庭にはまったく興味がなくなりました。しかも、保田の家には、塀がないのです。つまり、海まで、否、富士山まで庭がつながっているのです。自分の土地でなくても、東京湾と富士山が私の庭になる!
 もう、これで決まりでした。
 そして、仕事を辞めた後に、ここなら何かができる(やりたいことは、たくさんあります。もう決まっている!?)気がしています。

2006/03/18

2006.3.17 -1475 「保田に居場所を決めた理由~家庭から~」
 まず、駅に近いこと。JR保田駅から約300m、徒歩5分足らずのとことにあるのが最大の魅力です。女房は、車酔いがひどく、車に乗りたがりません。自分で運転すれば酔わないのにと思いますが、完全なペーパードライバーです。ここなら、何かの用事があれば、女房一人で来ることができます。
 そして、海に近いこと。保田海岸まで、約100m(直線距離50m足らず)です。対岸の神奈川県(久里浜、横須賀)はもとより、伊豆大島も遠くに浮かんで見え、晴れた日には富士山が正面に見えます。特に、海岸に町営の無料駐車場があることは、家の前に1台分しか駐車スペースがなく、国道に面しているので、路上駐車もできない立地から考えると、大きなセールスポイントです。
 さらに、保田漁協直営の食堂「ばんや」と24時間営業の風呂「ばんやの湯」があってお客さんが来ても、大丈夫。買い物も鴨川時代からの懐かしいスーパー「おどや」が、自転車でいける距離にあり、午後十時近くまで営業しているので安心。もちろん、近くには魚屋さんもあるし、家の前は酒屋さんと寿しやだし。
 ただ、国道127号線に面しているので、騒音が大きく、別荘としての静寂性はないのが欠点。まぁ、日中は私はいないし、遊びにきた人は、ずっと家にいるわけではないと思うので、「昼寝がちょっと...くらいかな?」と軽く考えていました。(これは、今後結構問題になるかも?)
 

2006/03/17

2006.3.16 -1476 「Blogger Problem ~で、投稿できず?~」
 昨夜午前零時ごろ、投稿しようとしたら“Blogger Problem”という画面が出てブログが開けませんでした。残念!毎日「継続は力なり」を信じて、書いていたのに...でも、内心ホッとしていました。
 なにせ、一昨日と昨日は仕事のピーク。家にたどり着くのがやっとでした。“Blogger Problem”は救いの神?それを言い訳に、昨日はお休みさせていただきました。
 17日に書いてますが、一応、昨日の言い訳ということで、連続の日付にしました。(今夜、17日分を書きます)

2006/03/16

2006.3.15 -1477 「速報!~これで決まり!~」
 朝、電車の吊り広告に、目が点!釘付けになりました。「この感じ、この雰囲気なんです!」風流家の外装のイメージは。
 それは、Pen No.172(4/1号)の表紙を飾っている家の写真でした。帰りに午後11時まで開いている書店に滑り込んで、早速買いました。「海外建築家が設計した、自分の家」という特集記事の一つ。バーバラ・ベスター(米国)の作品でした。http://www.hankyu-com.co.jp/pen/
 残念ながら、風流家はサイコロ型なので、デザインは遠く及びませんが、カラーコーディネートは、これで決まり!
 嬉しくて、つい、いつもの続きを書くのを中断してしまいました。

2006/03/14

2006.3.14 -1478 「保田を居場所に決めた理由~仕事から~」
 昨年(平成17年)の夏には、来春はまた異動という感触を強く持ちました。千葉県内に5つの出先を持つわが組織。私の任地は3年間で3回変わっていますが、今年も空きポストが2つできるので、そのうちのどちらかに行くことは確実でした。 場所は、市原市か館山市。それぞれ、富津市と富山町に出張所があります。市原市の任地は、袖ヶ浦市との境です。
 鋸南町保田は、予想される二つの任地の間に位置します。市原までは、車で50km、1時間ちょっと。館山までは車で20km、30分。その途中に出張所があります。行き帰りに出張所に寄るには便利な所です。
 加えて保田は、長狭街道の西の終点で、東の終点の鴨川市は私の最初に任地でした。若い頃は、よく遊びに来たので、土地勘があります。子供が生まれるまでは、保田より少し北の竹岡に小さなヨット(2人乗りのディンギー)を置いて遊んでいました。
 さらに、鴨川市には、私の最初のお客さんであり、恩人である、無二の親友がいます。
 3時間の通勤時間から開放されて、単身赴任する所(居場所)としては、どちらにころんでも良い所です。
2006.3.13 -1479 「カブ・マルタンの海に入る ル・コルビュジェ」
 海に入るル・コルビュジェの写真を見たのは、「ル・コルビュジエの勇気ある住宅 」 安藤 忠雄 (著)トンボの本(新潮社)という本です。
 それまでの私は、海があまり好きではありませんでした。磯の臭いというか、魚の生臭いにおいが嫌いなので、遊びに行くことはあっても、海のそばに長く住みたいとは思いませんでした。しかし、老人となったル・コルビュジェが一人海に入る写真は、私の未来の姿と重なって見えました。
 写真を撮ったその14年後、ル・コルビュジェは、このカブ・マルタンの海で帰らぬ人となったそうです。(入滅!)
 「海も悪くない。」そして、「海もいいかもしれない。」から、「海がいい。」に変わっていく心の過程で、保田の物件に出会いました。「ここが、仕事のある間も、仕事を辞めた後も、私の居場所かもしれない。」と思いました。

2006/03/13

2006.3.12 -1480 「ル・コルビュジエの『小さな家』との出会い」
 2005年6月11日 テレビ東京で放送された「美の巨人たち」に、1923年、ル・コルビュジエが設計した、レマン湖のほとりに建てられた『小さな家』と呼ばれる白い長方形の住居が紹介されていました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_050611.htm
 ル・コルビュジェの建築(絵画も)については、ギャルリータイセイ(大成建設)のHPhttp://www.taisei.co.jp/galerie/archive.htmlに詳しく載っています。
 私が、ネットキャンパーのHPを見る前にこの番組を見ていなければ、保田の物件に目が留まることはなかったと思います。
 ル・コルビュジェの「小さな家」と言う作品は、エアストリームに通じる所(縦長の動線)がありました。そのことが、銀の幌馬車に対する憧れを益々強くさせていきました。一方、コルビュジェに対する興味もどんどん強くなって、図書館でコルビジェに関する本を読み漁っているうちに、ある写真に出会いました。

2006/03/12

2006.3.11 -1481 「エアストリーム~動かない幌馬車でいい?~」
 全長30フィートを超えるエアストリームが中古で200万円位で売っています。http://www.onyx.dti.ne.jp/~develop/air.htm
 進入道路2m50cm幅の道路が前面まであること。もしくは横・裏にクレーン・ユニック車を入れる空き地などがあることが、条件ですが、港からの陸送料金(400円/km)と改造費を入れても300万円で何とかなるかな?空地が200万円で手に入れば、500万円で銀の幌馬車に住むことができます。単身赴任用住居としてこれほど魅力的な居場所はないのでは?と、千葉県内の安い土地を探しました。
 しかし、安ければそれなりの悪条件がつきもの。山の中でだんだん狭くなった道の先だったり、平坦でなかったり。分譲別荘地で、トレーラー設置可という所があり、見に行きましたが、道から一段下がった土地でいくらクレーンやユニックを使っても無理そうでした。それに、分譲別荘地は管理費がとても高く、ランニングコスト(上下水道、電灯等の公共物)のがバカになりません。
 やはり、銀の幌馬車は、キャラバンが似合う?置きっ放しのエアストリームでは絵にならない!
 それでも、キャンピングトレーラーにこだわり、「小さいものなら住宅地でも置けるのでは?と、ネットキャンパーhttp://www.net-camper.com/を見ていたら、個人売買のコーナーに「山村にある土地でキャンプ用地として使用できる土地の別荘地などの個人売買専用の掲示板」http://www.net-camper.com/cgi-bin/tochi/tochi.cgiがありました。
 何気なく、スクロールして見ているうちに、ちょっと気になる投稿がありました。

★千葉県 内房釣りの基地売却希望 名前: ジープ君[2005/07/03,09:27:44] No.144
 千葉県鋸南町保田に釣りの目的で、建てた別荘を売却希望します。平成3年に建築しましたが、キャンピングカーを購入してからはあまり使用しなくなりました。土地は約28坪で2LDK2階建てです。車庫付きで海水浴場まで徒歩1分くらいです。国道に面しているので、生活には便利です。特急のとまる保田駅までは300メートルくらいで、車で5分以内にはフェリー港の金谷や漁協の経営する魚料理で有名な番屋や勝山港などがあります。希望価格は680万くらいを考えていますが、賃貸で月6万くらいでもかまいません。地元の不動産屋さんに賃貸で申し込む予定ですので、短期間だけの賃貸は予定してません。興味のある方がいらしましたら、お早めにおねがいします。

2006/03/11

2006.3.10 -1482 「銀の幌馬車~エアストリーム~」
 銀色に輝くキャンピングトレーラー「エアストリーム」は、アメリカの文化そのものを感じます。最近のエアストリームも機能的ですばらしいスタイルです(International CCD 25' SSは最高ですが、700万円から1000万円します!http://www.airstreamjapan.co.jp/index.html)が、いわゆる“ビンテージもの”は、まさに”銀の幌馬車”というのにふさわしい逸品です。ビンテージエアストリームを語るHPhttp://www.geocities.jp/vintageairstreaming/index.htmlに載っている写真は、「エアストリームブック―銀色の幌馬車 」 (グリーンアロー・グラフィティ、仙波 喜代子 (著), Pamela Zilly (原著), パメラ ジィリー)の表紙を飾っています。
 この本は、とてもきれいなので、是非一度見てください。英語が得意な方は「Airstream The Silver Palace On Wheels」http://www.calldon.com/air.htmをお勧めします。
 今夜は、仕事で遅くなったので、エアストリームの紹介だけで終わります。(継続は力なりを信じて)

2006/03/09

2006.3.9 -1483 「居場所探し~仕事のためにどこに住む?~のつづき」 
 8時半の始業時間に間に合うためには、午前5時半、起床と同時に家を出ます。自宅の最寄駅からの電車は2,3分おきにありますが、勤務先の最寄駅まで行く電車は1時間に1~2本しかありません。しかも単線なので、列車交換のため駅ごと数分間止まるので、3時間もかかり、東京で1本乗り遅れたり、少しでも遅れが出ると1時間の遅刻になってしまいます。
 当然帰りも3時間かかるわけで、帰宅は早くて10時。11時になることもしばしばあります。一番参っているのは女房です。慢性的な睡眠不足の様子を見るのは辛く、その姿は目を覆うばかりです。
 そこで、単身赴任のための居場所探しを始めることにしました。
 まず目をつけたのが「競売物件」でした。きっかけは、新聞広告。毎週、千葉地方裁判所の競売物件情報が週末の夕刊に載ります。詳しい内容は、不動産競売物件情報サイトhttp://bit.sikkou.jp/や不動産総合情報サイトathome Web「競売・公売・国公有財産物件を探す」http://www.athome.co.jp/kankou/ に出ていました。本もいろいろ読みましたが、何事も経験とばかり、千葉地方裁判所で“3点セット”なるものの閲覧とコピーをしたり、法務局に行って当該物件の登記簿謄本を取ったりした後、物件も見に行きました。
 それは、つぶれた居酒屋と事務所が長屋になっている物件でしたが、アスファルト敷きの駐車場も広く、仕事を辞めてから、商売をするには、とても良い物件だと思いました。地元の知人に聞くと、「大丈夫じゃないか?」と言ってくれました。でも、小さな事務所には、なんだか怪しい警備会社が入っていて、先住者として居座られたらまずいかな?という不安もありました。
 「安く手に入ったら、少し金を払っても出て行ってもらえばいい。」と安易に考えて、実際に入札もしてみました。結果は、残念とは言えないほどの開きで落札できませんでした。今思えば、素人には玄人を追い出すことは難しかったはずです。いやな思いをしなくてすんだことと、少なくとも、法務局という役所の敷居は低くなったことは、結果的には良い勉強になったと思います。
 しかし、手に入らなかったとなると、とたんに「手に入れたくなる」のが人情。でも、競売以外で、私の甲斐性で手に入れられる物件などありませんでした。そんな時、以前憧れていた(三富村に住みたいと思っていた時に考えていた)トレーラーハウスを思い出し、インターネットで関連情報を見ていて、すばらしいものに出会いました。
 「銀の幌馬車」と言われる“エアストリーム”です。        
2006.3.8 -1484 「居場所探し~仕事のためにどこに住む?~」
 そうこうしているうちに、平成17年(2005)4月に、また転勤!自宅(東京から)100km、通勤時間はついに片道3時間になりました。
 今までの通勤時間の推移は、こんな感じで長くなっていきました。
  通勤時間 0分 職場の2階に住み込み    1年
         5分 農家の離れ           5年
        10分 県営住宅            4年
    1時間40分 東京(実家)~千葉駅近く  15年
    2時間10分 東京(実家)~千葉市内   2年
    2時間30分 東京(実家)~酒々井     1年          

2006/03/07

2006.3.7 -1485 「居場所探し~伊豆大島は東京です~」
 今の仕事を辞めても、仕事をしなければ食べていけません。実は、蟄居生活をしていた時に、職を探したことがありました。三重県の津市で全国で初めて「民間からの小学校の校長募集」があるという新聞記事を見て早速チャレンジしましたが、見事に書類選考で落ちました。結局、今の職場にいさせてもらうことになりましたが、そのかわり職場は東京からどんどん離れていきました。
 この年で、仕事を見つけるのは大変です。まして、私の仕事は特殊(乳牛が相手)なので、結局千葉を離れられない?それに東京には家族がいます。ということで、地図を眺めていたら、伊豆大島が目に止まりました。伊豆大島は、東京都で、千葉に行って仕事をするのもそれほど困難ではありません。いや、大島なら私の仕事もあるかも?ガイドブックを見たら“大島牛乳”というのが、お土産として紹介されていて、町営牧場の写真が載っていました。
 そこで、ようこそ伊豆大島へhttp://www.izu-oshima.or.jp/を見たり、大島町の公式HPhttp://www.town.oshima.tokyo.jp/や東海汽船のHPhttp://www.tokaikisen.co.jp/を見ましたが、とにかく行ってみようと一昨年の夏の終わりに一人で行ってきました。
 レンタバイクを借りようと思いましたが、着いたら雨模様ということで、しかたなくレンタカーで島を一周しました。約60km、「バイクでのんびり走ったら気持ちがいいだろうなぁ。」と、思いながら空港の端にある牧場に行ってみました。
 残念ながら、町営の牧場は、民間に払い下げとなり、規模も私のビジネスチャンスがあるとは思えない程度でした。さらに不動産物件も街中にしかなく、それも結構な値段です。(
大島不動産http://www.island-net.jp/~fudousan/が格安な物件を紹介したので、メールで照会しましたが、HPの最終更新が2004.7.9ということもあり、物件1はすでに売れていました。)当然といえばそれまでですが、島だから物価も高い。そして、大島では残念ながら米を作っていないそうで。(昔は陸稲を作っていたそうですが、やはり地元の米が食べられる=いざというとき自給できる所でないと...)どうやら、伊豆大島は私の居場所としては、少しハードルが高かったようです。
 それでも帰るときには、見事に晴れて、船の後方デッキから島を見ると、島全体が”私の墓”のように思えました。ここにいれば(ここで死ねば)、東京からいつも私の墓が見えるというシチュエーションは、かなり魅力的でしたが、逆にここから東京や千葉を見るとちょっと寂しいかな?見えるけど海があってなかなか行けない...かつて島流しにあった人の気持ちが少しわかるようで、寂しがり屋の私には「伊豆大島に住む」という結論は出せませんでした。
2006.3.6 -1486 「居場所探し~仕事をやめたらどこに住む?~」
 私の職場は、千葉県内です。現在は、東京に住んでいます。今まで、3回仕事を辞めようと本気で考えました。
 一度は、父親の看病に疲れた母親の面倒を見るために、東京に戻らなければならなかった(長男なので親の面倒をみるのは当然と周囲から言われました)ので、辞めざるを得ないと言う結論に達しました。しかし、上司(組織)の配慮で、東京から通勤可能な職場に転勤することで、辞めなかった代わりに東京暮らしになりました。(都会が嫌で、北海道に行き、千葉の田舎で暮らしていたのに...)
 それから、今までずっと東京暮らしです。東京に戻った時に生まれた末娘が、今年高校を卒業するので、あれから18年経ったことになります。その間、私もそれなりのポストを勤め、いよいよこれからという時に、事件が起こって、関係者の首を切りました。「私も、辞める。」といいながら、後始末に追われ、一時は窓際の蟄居生活も経験し、それでも家族との生活を守るため、今まで勤めてきました。
 しかし、「できるだけ早く辞めたい。」と言う気持ちが、いつも心の中にありました。そんな、私の気持ちを組織が察したか、自分がそうさせたのかわかりませんが、だんだん、自分の居場所がなくなってきているのを感じていました。
 「辞めたら、千葉とは縁を切りたい。」最初は、日本一晴天率の高い山梨県の茅ヶ岳の麓や笛吹川上流の三富村(現在は合併して山梨市の一部)あたりに住みたいと思い、何度も足を運びました。女房が山が好きなので、二人でひっそり住むには良いと思っていました。でも、母親の面倒はみなければならないし、子供はまだ東京の学校に通っているし、踏ん切りがつかないままに、「やはり、東京は捨てられないのかな?」と思うようになりました。
 「そんな時、ふと、伊豆大島って東京じゃない?」と思いました。

2006/03/05

2006.3.5 -1487 「u76 のもう一つの意味は、under seventy six です」
 私は現在50歳です。実は、子供の頃に「心臓が変形している」と言われ、長生きはできないだろうなと思っていました。だから、結婚もできないだろうし、まして子供なんかつくっても育てられないだろう...で、結婚して、子供も3人つくっちゃいました。
 まぁ、ここまで生きてこれただけでも、“儲けもん”なんです。もうけもんの“余生”をどうやって過ごすか?それもいつまで?
 いつまで生きるかは誰にもわかりませんが、いつまで生きていたいかを考えることはできます。そこで、人生75歳までと勝手に決めたのです。50歳で人生の2/3。残り1/3の25年間について、自分で考えて自分で生きてみようと決めました。“75歳まで”が“76歳以下”を意味する u76 と一致しないのですが(正確には76歳未満というべきなんでしょうね)、そこは数学が苦手な私のご愛嬌。有南無と人生75歳をかけて u76 と名乗っています。
 最近読んだ「生死半半」(淀川長治、幻冬社、1995)には、あとがきに「私は、生の延長線上に死があるとはどうも思えません。人間の中には生きることと死ぬことの両方が半分ずつあるように思えるのです。」と記されていました。私も同感です。「人は死にながら生きている」と思います。となると、これから75歳までに徐々に死んでいる部分が多くなって最後は生きられなくなる?
 できれば、75歳までは死んでいく部分ができるだけ少ないように生きたいですね。その後は大往生。本当の余生で、死を受け入れながら生きたいと思います。
 ということで、75歳までの生き方を考えることになるわけですが、その前に、「生きる場所;居場所」としての「居南無 風流家」について、今までの経緯を記してみます。

2006/03/04

2006.3.4 -1488 「有南無は u76 の本名?いいえ、本名はヒロシです」
 u76 は、“ゆーななじゅうろく”とか“ユーナナロク”と読むのではなく“うなむ”と読みます。うなむに漢字を当てると「有南無」になります。
 “うなむ”は、私の本名「ヒロシ」のことです。「ヒロシ」は、おそらく今でも日本で一番多い男の名前だと思います。試しに“ひろし”で変換してみると...博、弘、宏、浩、洋、裕、寛、博史、浩志、広志、浩史、比呂志、...72の候補があります。そこで、「“ウ”冠(かんむり)にカタカナの“ナ”を書いて“ム”を書く“ヒロシ”です。」と説明していました。そう、私の本名は“宏”です。“ウ”を書いて“ナ”を書いて“ム”を書くと説明するくらいなら、いっそそのまま“ウナム”にしてしまえ!ということで、「有南無」と名乗ることにしました。さも“ありなむ(有南無)”というわけです。さらに、有南無(うなむ)をメールアカウント(半角英数小文字)に翻訳すると、「u76 」 になるわけです。
 くどくどと4日間も続けましたが、これでやっとブログ紹介の欄に書いた言葉の意味の説明を終わります。
 でも、実は、u76 には、もう一つの意味があります。
2006.3.3 -1489 「“居南無”は“きょなん”と読みます」
 風流家は、私の理想の居場所です。夢の居場所なので、具体的に表現できません。しかし、手に入れてしまったのです。場所が千葉県安房郡鋸南町保田ということもあり、「居南無 風流家」と命名しました。“居南無”は“きょなむ”とふりがなをつけましたが、実際には“きょなん”と読みます。
 “南無”は「南無妙法蓮華経」とか「南無八幡大菩薩」など、“偉大な”とか“崇高な”と言った意味で使われる接頭語です。すぐ隣の南房総市(旧安房郡富浦町)には南無谷(なむや)という地名もあります。しかし、 “南無”は、鋸南町と関係ができるとは思ってもみなかった頃(5年以上前)から使っていました。
 実際は“有南無”と言う形で使っていました。“有南無”は、私、u76 の本名(?)です。ですから、鋸南の当て字としての“居南無”というだけでなく、「“有南無”の居場所」と言う意味を込めて名付けました。

2006/03/03

2006.3.2 -1490 「風流家は“フルハウス”と読みます」
 風流家は“ふうりゅうや”ではなく、“フルハウス”と読みます。風流は風の流れ、空気の存在です。嘗ては“ふる”と読まれたこともあったらしいのです。家を“ハウス”と読むのは当て字ですが。
 見えないものの存在感とトランプのフルハウス(小さい手が集まると大きな手になる)をかけて、自分の理想の居場所を「風流家」と名付けました。
 そして、「風流家」がついに手に入りました。平成17年12月14日(2005.12.14)のことでした。

2006/03/01

2006.3.1 -1491 「カウントダウンを始めます」
 今日からカウントダウンを始めます。“その日”は、平成22年(2006)4月1日なのですが、その日を「新たな人生の出発点」の第一日目としたいので、3月31日を“0”日として計算しました。
 これでいいのかなぁ?
 そして、“その日”が来たら、また新たなカウントダウンを始めるつもりです。その時は、この数字が“旧暦(じゃなくて、O.C.;old count)”になって、新しい数字(実はもう計算できるのです!)が“新暦(じゃなくて、N.C.;new count”になる予定です。
 ところで、西暦では紀元前1年の次は紀元後0(元)年なのかな?昭和64年は平成元年で次の年は平成2年だったような気がします。やはり、4月1日をO.C.1で...にします。