2006/03/05

2006.3.5 -1487 「u76 のもう一つの意味は、under seventy six です」
 私は現在50歳です。実は、子供の頃に「心臓が変形している」と言われ、長生きはできないだろうなと思っていました。だから、結婚もできないだろうし、まして子供なんかつくっても育てられないだろう...で、結婚して、子供も3人つくっちゃいました。
 まぁ、ここまで生きてこれただけでも、“儲けもん”なんです。もうけもんの“余生”をどうやって過ごすか?それもいつまで?
 いつまで生きるかは誰にもわかりませんが、いつまで生きていたいかを考えることはできます。そこで、人生75歳までと勝手に決めたのです。50歳で人生の2/3。残り1/3の25年間について、自分で考えて自分で生きてみようと決めました。“75歳まで”が“76歳以下”を意味する u76 と一致しないのですが(正確には76歳未満というべきなんでしょうね)、そこは数学が苦手な私のご愛嬌。有南無と人生75歳をかけて u76 と名乗っています。
 最近読んだ「生死半半」(淀川長治、幻冬社、1995)には、あとがきに「私は、生の延長線上に死があるとはどうも思えません。人間の中には生きることと死ぬことの両方が半分ずつあるように思えるのです。」と記されていました。私も同感です。「人は死にながら生きている」と思います。となると、これから75歳までに徐々に死んでいる部分が多くなって最後は生きられなくなる?
 できれば、75歳までは死んでいく部分ができるだけ少ないように生きたいですね。その後は大往生。本当の余生で、死を受け入れながら生きたいと思います。
 ということで、75歳までの生き方を考えることになるわけですが、その前に、「生きる場所;居場所」としての「居南無 風流家」について、今までの経緯を記してみます。

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