2007/12/31

2007.12.31 -822 「居場所はここでいいのか? ~ ちょっとわからなくなってきました ~」
 ついに、今年も終わります。風流家を居場所と決めて2年が過ぎ、“家に帰るとほっとする”のは、東京ではなく居南無 風流家です。クルマの音がうるさいと感じたのが嘘のように熟睡できるし、仕事の帰りに浜で海と星を眺めるのは、一日の終わりにふさわしい最高のイベントです。
 しかし、保田中央海岸の駐車場が鉄パイプで囲まれ立ち入り禁止になってから、「この町は何を考えているのか?」わからなくなりました。国有地を駐車場として使っていたことは知っていましたが、国がこの土地を処分しようとした時に、いくら町に金がないとはいえ何の行動も起こさない(町の広報紙にはこのことが一言も触れられていません)のは理解に苦しみます。
 残念という気持ちが、だんだんこの町に対する思い入れが薄れていく方向に膨らんでいくようです。
 たしかに気候は温暖で、ご近所のみなさんも本当に良い人ばかりです。でも、それだけが終の棲家としてここを選んだ理由ではなかったはず。もう少し、自分の居場所について、じっくり考える必要がありそうです。

2007/11/01

2007.11.1 -882 「道を変えられない! ~ 習慣って恐ろしいですね ~」
 11月から通勤経路を少し変えようと思っていました。往きは山回りですが、今までより少し遠回りになる代わりに道が広くてのんびり走れるコースに。復路は、海(国道127号線)回りですが、国道16号に出るまでの道を少しショートカットするコースです。
 で、今朝は前にダンプがいて、新しい経路の方が早くて楽そうだったのに、気がついたらダンプの後ろについて、いつもの道の方に曲がっていました。昨日まで、散々考えて決めたのに...
 よほど意識していないと、日常を変えるのは難しいですね。もしかしたら、変えない方が良いという潜在意識が、道を変えさせなかったのかも?
 帰りは、意識してショートカットの方を通ってみます。

2007/10/30

2007.10.30 -884 「やはり、女房も結婚記念日を忘れていました ~ 夫婦って何でしょう? ~」
 どっちもどっち。というより、同じ程度に風化が進んでいる?否、老化?かもしれません。
 夫婦(妻はor夫)は、空気のようなものなんていう人もいますが、いなければ生きていけないと言う訳でもないし...私にとっては、「友達以上恋人未満」という位置づけでしょうか?こんな歌詞が昔ありましたね。今の私には、友達も恋人もいない(要らない)ので、やはり女房だけなんですよね。
 とはいえ、27年前に結婚したとか、27年間結婚しているということは、子供の成長を目の当たりにした時くらいしか実感がありません。もしかしたら、来年も忘れるかも?

2007/10/29

2007.10.29 -885 「結婚記念日を忘れました ~ イソトマは元気ですが... ~」
 ついに、9月は投稿ゼロ。つまり、ひとりごとを言っている余裕もなかった?10月も投稿ゼロ寸前に、突然気がつきました。「26日は結婚記念日だった!」
 結婚記念日に別に何をするわけでもありませんが、すっかり忘れていた(26日より前に、一度も頭に浮かびませんでした)というのは、結婚27年目にして初めてです。だんだん大切なことも忘れていくんでしょうか?それとも、大切なことではないから忘れるのかな?
 そう言えば、自分の誕生日っていうのも、だんだん忘れがちです。だいたい何時生まれたか覚えていないし。親からそう言われてその気になっただけで、クリスマスと並んで欲しいものを買ってもらえる特典のある日くらいな気持ちでしたから。「誕生日は、自分を産んでくれた母親に感謝する日」なんて教えてくれた人はいませんでした。
 同様に「結婚記念日は、こんな私でも結婚してくれた妻に感謝する日」なら、忘れてもいいかもしれません。なぜなら、毎日妻には感謝していますから!?でも、毎日、メールで連絡している女房からも、26日のことは一言もありませんでした。女房も忘れている!?
(追伸)8月の夢とは逆に、イソトマは元気に今も花を咲かせています。

2007/08/30

2007.8.30 -945 「夢は現実になるか? ~ イソトマが抜かれた!? ~」
 猛暑が続いたこの夏、「山に逃げる」ことを考えて、保田近くの山の物件を探しましたが、納得する物件にはめぐり合いませんでした。本当に蒸し暑く(気温に加えて、海からの湿気が耐えられない!)、山に気が向くというのは、ごく自然なこと?寝苦しい夜は、山の中で過ごし、強烈な日差しの日中は森の日陰で過ごす。そして、海に戻って夕陽を拝む。これぞ、まさしく“避暑”。それが実現できたら、最高の幸せです。このカウントダウンがゼロになるまでに、夢が現実になるでしょうか?
 ところで、今朝「家の前に植えてある“イソトマ”がそっくり抜かれている!」と、思ったら夢でした。2階の窓から恐る恐る見ると、元気に花が咲いていました。「よかった!」と安心すると同時に、「なんで、こんな夢を見るんだろう?」と不安になりました。これまでも、花壇の花を何回か抜かれたことがありました。しかし、ここ半年ばかりそのような被害から遠ざかっていたのに、突然あまりにリアルな夢を見たのはなぜでしょう?
 と、妙な詮索をするより、とりあえず記録に留めておくことにします。夢は現実になるのでしょうか?それとも、何かの暗示かな?(と、やっぱり、妙な詮索をしている!)

2007/07/11

2007.7.11 -995 「気がつけば、千日を割っていた! ~ 千の風と千の葉 ~」
 このブログをはじめて以来、残り4桁の数字が続いていましたが、久しぶりに数えてみれば、あと995日。来年の3月31日までなら、残り264日です。(こちらのカウントダウンのほうが、現実味を帯びてきました。)
 5月下旬から痛んでいた右手は脅威の回復を見せ、今は前より力が出るくらい?でも、時々肘に何かが当たると激痛が走ります。それより、今は腰が痛くなっています。同じ姿勢を長時間続けると耐え難い痛みがやってきます。ということが睡眠中も起こり、2時間おきに痛みで目覚める毎日です。
 起きる時は、約10分かけて柔軟体操(よりはずっと軽めの間接の可動範囲を拡げる運動)をします。なんとも情けない状態ですが、あの激痛に比べれば、ずっとましです。だんだん腰の痛みが引いてくると喜びすら感じます。これぞ、まさしく生きることの喜びと辛さの象徴です。
 千という字は“たくさん”の代名詞でしょう。現在“千の風に乗って”という曲が流行っていますが、“千の葉”の千葉県は、鳴かず飛ばずです。「気がつけば、千の風に乗って、千の葉が揺れている(踊っている)」といった状況設定には無理があるでしょうか?腕や腰の痛みからではなく、生きる喜び、生かされていることへの感謝の気持ちを感じたいものです。

2007/06/08

2007.6.8 -1028 「右手が使える幸せ!? ~ 左手も頑張っていたけど ~」
 昨日、どうしても外の仕事があって、右手を使わなければならない事態になりました。肘の痛みは残っていたものの、前日から筋肉の腫れは収まってきたので、風呂に入ってリハビリに取り組みました。
 肘関節の靭帯が拘縮して、肘を動かすと激痛が走りましたが、少しずつ可動範囲が広がってきました。しかし、痛みが持続的になってきたので、無理せずに止めました。
 当日の仕事は、スタッフがほとんどやってくれたので、あまり手を出さずにすみましたが、無意識で手を動かしたせいか、痛みと引き換えに右手が口元まで届くようになりました。
 今日は、痛みもかなり軽減し、日常の動きには支障がなくなりました。(まだ、耳の後ろには指が届きませんが)
 約2週間、左手だけで生活してきました。歯磨きは少し慣れましたが、髭剃りと頭(髪の毛)をバリカンで刈るのは恐怖でした。右手が完全にダメなら諦めもつきますが、何とか動くようになると、やはり右手が頼りです。右手が使えるなんて、当たり前のことがこんなに嬉しいなんて...
 とはいえ、今日の昼には、左手一本で食べられるように買っておいたパンを無意識で左手で食べました。左手も頑張っていたのですね。

2007/06/03

2007.6.3 -1033 「ついにギブアップ! ~ 右手が口に届かない ~」
 31日は、夜食事会がありました。そのときも肘が痛かったのですが、なんとか箸を使って食事を口に運ぶことができました。
 しかし、その時の無理が祟ったのか、深夜から腕がどんどん腫れだして、右手は大根のようになってしまいました。翌日の昼に会議があり、その後の懇親会では、お酌はなんとかできたものの(左手で持って右手を添えて)、食べ物は一切口にできず、腫れた所の痛みだけでなく、頭までひどく痛くなってきました。
 ついにギブアップ!早退して、東京に戻り、ホームドクターに診てもらいました。ホームドクターの第一声が、「なんで、こんなに酷くなるまで放っておいたの?」処置も処方も、予想通りの簡単なものでしたが、「2・3日様子を見てから」という言葉に最悪の事態は避けられたという安堵感がありました。
 これぞ、ホームドクターの役割!?今回の件で、ペインコントロールとフットケアの大切さを、人体実験を通じて身をもって体感しました。
 ちなみに、現在も快方には向かっておらず、ただどんどん悪化しているという感じがないので、しばらく様子見かな?と思っています。

2007/05/31

2007.5.30 -1037 「これって、やっぱり、テニスエルボー? ~ 痛くて眠れない! ~」
 仕事柄、ペインコントロールの重要性は十分認識しているつもりでした。一方で、痛みは体のサイン、素直に受け入れることも大切という気持ちもありました。
 しかし、痛風発作の炎症が収まった後、二の腕の肘近くが痛くなり、ついに思うように曲げられなくなりました。というより、痛みがひどくて曲げられないのです。今では、右手で歯磨きができなくなりました。(歯ブラシが、口に届かない。右手を細かく・早く動かせないため)
 日中は、なんとか仕事をしていますが、夜になると疲労とともに痛みが激しくなり、横になっても“手の置き所がない”状態で、よく眠れません。
 かつて電車通勤をしていたとき、つり革につかまれないほど手が痛くなった時には、“テニスエルボー”と診断されました。やはり、テニスエルボーかな?その時も長期にわたって苦しみましたが、治療効果も、いつ治ったかも定かではありません。痛くて眠れない日々、これからいつまで続くのやら。

2007/05/28

2007.5.28 -1039 「痛風、そして、わカメちゃんのその後 ~ どちらも順調? ~」
 痛風は、約一週間で何事もなかったように回復する(発作の部分がやや赤黒くなったり変形したりしますが、痛みは全くなくなります)のが普通ですが、...今回は、なかなか良くなりません。パソコンなら軽作業だからと思ってマウスを動かしていましたが、これがマズかったかも?痛みが引かないばかりか、不自然な力がかかったせいか、周囲の筋肉にも痛みが出てきました。
 さらに、土日に一人でいると、やはり体を動かしてしまいます。とても安静にしていたとは言えません。あすは、一日中座りっぱなしの仕事だから、右手の安息日にします。
 ところで、5月6日(GW最後の日)までのレンタル契約?だったわカメちゃんは、まだ東京にいます。私の職場で私の背中を見て暮らすより、東京暮らしの方が良いかも?今のところ「公園に放してきたら?」という声が家族から出ていないようです。(自宅近所の善福寺公園、石神井公園、井の頭公園には、いずれもカメがたくさんいます)
 わカメちゃんは家族の一員として順調に暮らしています。

2007/05/26

2007.5.26 -1041 「痛風発作が! ~ ストレスが原因です ~」
 月曜日(21日)に仕事中、右肘をぶつけました。ジーンと痺れただけで、その後は気にしていませんでしたが、水曜日の夜に急激に肘の先端(尖った部分)だけが痛くなってきました。
 「やっぱり、打撲が...」と思っているうちに、少し曲げても痛くなり、ついに眠れないほどの痛みになりました。明らかに痛風発作です。1年ぶりですが、前回は右足親指の付け根でした。というより、今までの発作はほとんど右足親指の付け根で、右肘は2回目です。
 発作の引き金は、打撲に間違いありません。しかし、発作の原因は、明らかにストレスです。先週の火曜日(15日)に職場でトラブルがあり、その気持ちを引きずったまま、土曜日に気を遣う会議があって...精神的にボロボロの時に“ガツン”と一発くらったことで、一気に痛風発作に向かいました。
 二日ほど眠れない夜が続きましたが、昨夜は久しぶりに熟睡できました。でも、明日(日曜日)は安静にしていましょう。
 ストレスは、寿命を縮めますね。

2007/05/15

2007.5.14 -1053 「52歳になりました? ~ ○○52ひ98-75 ~」
 誕生日らしいです。52歳とのこと。実感がありません。でも、52年も生きてきたんですねぇ。子供も大きくなって、それぞれメールで誕生日のお祝いをくれました。長く生きてきた実感はありませんが、今生きてて良かったとは思います。
 ○○52ひ98-75は、子供たちが小さいころ、私が初めて買った新車(ワンボックスカー)のナンバーです。「イツニナッテモヒロシロクデナシ」と読みます。987と来れば、次は6。なのに、5。「ロクでないの?」そう、5であって6でない。だから、“ろくでなし”。実に私のことを言い当てたナンバーですごく気に入っていました。
 そして、ついに実の親からも“ろくでなし!”“甲斐性なし”と言われるようになってしまい、現在に至っています。52を「イツニ」と読まずに、「52歳になっても(まだ)宏はろくでなし」です。

2007/04/30

2007.4.30 -1067 「わカメちゃん東京へ ~ 我が家の犬とご対面 ~」
 わカメちゃんは、すこぶる元気で活動的になりました。夜に排便するため、毎朝水換えが必要です。
 私のデスクの後ろでゴソゴソやっている“わカメちゃん”の世話を、休日出勤してくる職員にお願いするのも気が引けたので、GW中は東京に連れて行くことにしました。
 27日の夜、レジ袋に入れて荷物といっしょに持って帰りました。(連れて帰ったという感じではありません)別にゴソゴソすることもなく、おとなしくアクアライン経由のバスと電車に乗って無事東京へ。
 翌日、我が家の犬(ハンナ)と対面しました。一度だけ、ハンナが水槽の中からわカメちゃんを咥えて外に出しました。その後は遊び道具ではないことがわかったらしく、少し気になりながらも距離を置いています。
 犬にもカメにも迷惑な話?かもしれませんが、とりあえずこれが最善の策ということで。5月6日までは、東京暮らしです。

2007/04/27

2007.4.26 -1071 「自分が釣れた! ~ 浜掃除してよかった ~」
 朝の浜掃除、わずか3~5分のセレモニーに成り下がった感がありますが、ついに成果が!?
 なんと、自分が釣れてしまいました。紫色の糸が海藻に絡まっていたので、海藻からはずそうと思ったら「痛い!」。左手の人差し指に釣り針が刺さりました。
 幸い“アゴ”が食い込むまで深く刺さらなかったので、大事には至りませんでしたが、プチ出血あり。
 もしこれが、私の孫(まだ、いませんが)の指だったら...浜掃除の目的は「子供(自分の孫)を浜で裸足で遊ばせたい」です。本当に浜掃除してよかった!と思いました。わカメちゃんに出会ったことより嬉しい!?
 でも、妙に納得した朝でした。

2007/04/12

2007.4.12 -1085 「わカメちゃん覚醒しました ~ 出たから入る? ~」
 昨日、わカメちゃんの水槽を掃除していたら、糞らしきものを発見!金魚のウンコにそっくりです。2月22日に出会って以来、暖かい日はモゾモゾ動いて水の中に入ったりしていましたが、餌をやっても全然食べませんでした。
 でも、糞が出たということは消化管が開通したということだ!と思い、“カメのエサ(配合飼料のペレット)”と“カメのごほうび(乾燥川エビ)”を鼻先に落としたら、長い首を伸ばして「パクリ!」と飲み込みました。わカメちゃんがついに冬眠から醒めました。今まで動いていたのは、夢の中だったのかな?朦朧とした意識の中でもがいていたのかも。
 出るものが出たから、入るものが入る。出入りの順番ですね。

2007/04/01

2007.4.1 -1096 「4月になりました ~ 新たな気持ちで ~」
 今週末は、東京にいます。東京にいると、犬と遊んでしまい、あっという間に一日が終わってしまいます。保田にいる時とは、生活が全く異なってしまうのはなぜでしょう?やはり、家族を頼ってしまうのですね。
 今まで、自宅から通っていた娘は(転勤で空家になってしまった)友達のマンションを借りて住むようになりました。大学生の娘も千葉まで通っているので、外泊が多くなっています。息子は、名古屋に就職して以来、ほとんど戻って来ません。妻が私の母の面倒を見ているのですが、私がいるとペースが乱れるようで。そう、東京では、私も“濡れ落ち葉”状態です。
 でも、職場ではやることが多くて、自席にへばりついている暇はありません。明日からは、また新たな気持ちで、忙しい日々を送ります。第二の人生のために、保田に住み始めたのに、現在は完全に仕事のために住んでいます。これも、あと3年と期限を切っている(退路を断っている)から、納得できるのです。
 あと3年で、何ができるか?というより、後輩たちに何が残せるのか?この1年で見えてきたので、あとは行動あるのみ!Look around から Think Before の段階を経て、ついに Don't Wait です。仕事に一所懸命取り組むことで、次の人生も開けそうです。
 実は、今まで、現在の仕事と第二の人生を完全に分けて考えていました。しかし、良きにつけ悪しきにつけ、仕事が今の私の全てです。 そのことを、受け入れられるようになったのは、保田での一人暮しとカウントダウンしている(期限を切っている)からです。あと、千日ちょっと。これからの3年間、その一日一日を居南無 風流家を居所として大切に過ごしたいと思います。
2007.3.31 -1097 「一年経ちました ~ 何か変わったのかなぁ...~」
 保田(居南無 風流家)に住んで一年が過ぎようとしています。4月からもここが居場所です。異動はありませんでした。3月までと同じ職場に4月も通えるのは、実に5年ぶりです。
 人生の変化を求めて、居場所を変えたのですが、変わらないものが少しはある方が安心です。
 と変わらない話の後で、保田の浜が大きく姿を変えたお話を。この前(3月25日)の低気圧通過で強い西風が吹き、一夜明けたらゴミがない!のです。今までは、低気圧の置き土産で、通過後の浜はゴミだらけなのに、昨年末のバクダン低気圧の後遺症も見事に消え去って...。確かに大量の砂が満潮時に押し寄せてきた様子はありますが、浜掃除の燃えカスが全部砂に埋もれたとは考えられません。と言うことは、やはり返しの波で沖に持っていかれたのかな?で、いずれ戻ってくる...か、他の浜に流れ着くのでしょうか?
 家の南側の花壇、水仙の前に植えたジュリアンは、誰かに引っこ抜かれて持ち去られてしまいました。花壇を見るたびに悲しい(情けない?)気持ちになります。風景も少し寂しい方に変わりました。それから、家の西側の外壁は大分傷んできました。角の鉄のアングルは白い塗料が剥げて錆でボロボロです。(連休明けには、玄関ドアといっしょにリペアしよう!)
 でも、家の東側のユキヤナギとシバザクラは元気に花を咲かせて、新緑の中に白とピンクのコントラストが見事です。これは、嬉しい方への変化です。毎朝、仕事の前にチラリと見ていくのが何よりの楽しみです。
 と、風景は毎日少しずつ変わっています。やはり、変わらないものはないのですね。 

2007/03/12

2007.3.12 -1116 「シバザクラを植えました ~ ユキヤナギにも白い蕾が ~」
 10日(土)に今シーズン最後(にしようと心に決めて)の灯油をホームセンターに買いに行ったら、シバザクラが目に入りました。実は、昨年玄関横の小さなスペースにユキヤナギとピラカンサを植えた時、“白いユキヤナギの下にはピンクのシバザクラだ!”と心に決めていたのですが、なかなか手に入らなかったのです。
 しばらく頭の中からシバザクラのことは消えていたのですが、実物を見た途端、回線がショートしました。で、5株買って早速植えました。あいにく、土曜の夜から悪天候で風雨ともに強かったのですが、雨の上がった日曜日の午後に見たら、萎れていなかったので一安心。
 そして、今朝は、ピンクのシバザクラの上に被ったユキヤナギの枝に白い蕾を発見!いよいよ春らしくなってきました。海もいいけど、植物の静かな中にもダイナミックな生き様には感動しますね。
 ところで、“わカメちゃん”は、再び冬眠したようで、全く食べないばかりか、ほとんど動かなくなりました。事務所の暖房が効いてくると、時々ガサゴソと砂の動く音がするのが生きてる証拠です。こちらの方は、まだダイナミックな春には程遠そうです。
2007.3.11 -1117 「二時間も停電! ~ レインボーストーブに感謝 ~」
 春二番が吹いた3月7日。久しぶりに早く帰ったら、突然停電!ブレーカーが落ちたのかと確認したけど異常なし。で、外を見ると真っ暗!ということで、この地域全体が停電であることが判明しました。
 ところで、なんでこんなに落ち着いて家にいられたのか?よく考えてみると、レインボーストーブの明るさに助けられていたのでした。「40Wの明るさ!」というカタログほどの効果は感じられませんでしたが、部屋にいることが不安にならない程度の明るさは確保されていました。
 風呂の給湯器は電気がないとダメですが、コンロは点くし、ストーブの上ではやかんのお湯が沸き始めたので、ラーメンで夕食を済ませました。なんだかんだと一時間ほど経ちましたが、外は相変わらず真っ暗。しかたがないので、時々走ってくる車のライトの明かりを頼りに布団を敷いて寝ました。そのうちサイレンを鳴らしながらハシゴ付のトラックが走っていったので、“そろそろ回復するかな?”と思いつつ眠ってしまいました。
 翌朝、階段の電気は点いているし、オーディオの電源は入りっぱなしで...タイマーを見ると2時間以上の遅れでした。ということは、2時間も停電していたことになります。まぁ、レインボーストーブがあってよかったということで、無駄な電力消費の件は不問に付すことにしました。

2007/02/23

2007.2.22 -1134 「カメは、“わカメちゃん”と名づけました ~ 爬虫類は苦手ですが ~」
 一週間たってももらってくれる人が現れないので、“わカメちゃん”のプロフィールを水槽の横に貼りました。“わカメ”と言う名前は、職場に持ってくる来る途中の車の中で決めました。「わっ!カメだ!」と海で拾ったので、海に因んで「ワカメ」をかけて名づけました。
 実は、職業柄“ケモノ”は得意ですが、ヘビやトカゲなどの爬虫類は苦手なんです。その感触と冷たさがなんとも言えず...でも、机の後ろでじっとしているわカメちゃんをついつい見てしまいます。
 こりゃ、飼うしかないか...

<プロフィール>
         “わカメちゃん”と呼んでください。
よろしく!
保田の海から来ました。ウミガメ...ではなくて、クサガメらしいです。
ウミガメの赤ちゃんの甲羅が浜に打ち上げられているのと勘違いして
私を拾ったお馬鹿な人がいけないんです。
 水槽つき・餌つきなら、誰かもらってくれる人がいるだろうと
甘い考えを持ったらしいけど、水槽も運んでくる途中で割ってしまうし...
 春を前にお先真っ暗です。
 でも、「大きな夢が大きな実を結ぶ」の格言の横で、今に大きくなって
「大きなカメが大きな福を呼ぶ」ようにしますから、
 みなさん、かわいがってください。
 もし、おうちでかわいがってくれる人がいたら、いつでも
私の前にいるお馬鹿な所長さんに
「“わカメちゃん”ください!」と言ってください。
 あなたの真実の愛をお待ちしています。
                            “わカメちゃん”より

2007/02/21

2006.2.20 -1136 「ウミガメの子供? ~ クサガメが海にいた! ~」
 ここのところ仕事が忙しくて、周りを見る余裕がありませんでした。2月に入ってからは連日帰宅も遅く、睡眠不足で朝起きるのが辛く、形ばかりのゴミ拾いで切り上げても遅刻の連続でした。
 そんな怠惰な悪循環を繰り返していた先週の木曜日(15日)、春一番が吹いた翌日に、まだ風が強く残っている浜でウミガメの子供(の甲羅だけだと最初は思ったのですが)を見つけました。!と、思って手にとって見ると、田んぼの周りにいるクサガメでした。“なーんだ”と少々ガッカリしましたが、良く考えてみると「なんで、浜にクサガメがいるの?」かわかりません。前日は局地的に強い雨が降ったので、川の近くで冬眠していたカメが、海まで流されたのかも?
 甲羅が重かったので中を覗いてみると、中身が入っていました。とりあえず、車に乗せて仕事に向かっているうちに、ヒーターが効いてきて眠りから覚めたらしく、ガサゴソ動き出しました。
 「職場に持っていけば、小さい子供がいるスタッフがもらって行ってくれるだろう。」と思ったのが甘い考え。結局、東京の自宅から子供の使い古しの水槽を持ってきて、私の机の後ろにセッティングしました。室内は、日中は日向で暖かく、暖房も効いているので完全に冬眠から覚めた様子。今も、私の後ろで、プラスティック製のプールに浸かっています。
 その横には「大きな夢が大きな実を結ぶ」と書かれた竹の筒があります。(農家のおじいさんからもらいました)そのうち、小さなカメが大きくなって「大きなカメが、大きな何かに結びつく」かも?

2007/01/24

2006.1.24 -1163 「海の水は暖かい! ~ まだ? or もう? ~ 」
 朝のゴミ拾いは、このところかなり形式的になってきて、わずか1・2分で終わる出勤前のセレモニーの意味しかなくなってきました。それでも、砂浜や波打ち際のゴミではなく、海を見に来た人が捨てる地元のゴミが道路と砂浜を分けるフェンスのそばに落ちていない日はありません。最近は、長靴も履かず、運転する格好でフェンス周りのゴミをとることが多くなりました。(短時間で終わるため)
 でも、昨日の朝は、久しぶりに長靴に履き替えて波打ち際のゴミも拾いました。当然、手には砂がたくさんつくので、砂を落とそうと海水に手をつけてみたら、...予想に反して、実に温かいのです。“ぬるい!”という表現がピッタリくる感じでした。
 1月末でもまだ、水は秋のぬくもりが残っているのかな?否、黒潮(暖流)のせい?なんて、理屈より「海はもう春を運んできている!」と、思った方がワクワクしてきますよね。

2007/01/21

2007.1.21 -1166 「新年が明けて早3週間が過ぎて...」
 バクダン低気圧の置き土産は、先週の日曜日(14日)に、本郷浜区の有志(ほぼ全員?)が動員され、午前中に浜焼きで処分しました。まだ、燃えカスと燃え残りがあるものの、一時の絶望的なゴミの山状態からは見事に脱しました。
 当日は、“駅からハイキング”というJRのイベントで香月地区の通称“水仙ロード”が今年一番の賑わいを見せるはずなので、観光地鋸南町の現状視察ということで、8時過ぎに浜へ出てみると、なにやら様子が変。どうやら浜掃除の号令が全戸にかかっていたらしいのです。裏の川崎さん(一人暮しのおばあさん)に聞いたら「毎日早く出るので、かわいそうだから声をかけなかった。」とのこと。
 「こりゃ大変!」と、リュックサックを家に置いて、軍手をはめて1時間程、浜焼きに参加しました。あのまま、呑気にハイキングに出かけていたら何と言われたことか!予定より、2時間遅れで水仙ロードを歩いてきましたが、観光イベントとしてはイマイチでした。道端の家で売っていた1本50円のさつま芋(蒸かし芋)はおいしかったけれど...地元の人の努力の割に、地元にご利益があったのかどうか、大いに疑問でした。
 こういうことは、Win-Win(地元も観光客も満足)でないと長続きしそうもありません。リピーターがどれだけいるか心配です。ハイキングの後「遅い昼食を“ばんや”で」という定番コース(口コミ?宣伝?)も、大混雑でがっかりしたのでは?(順番待ちにウンザリで、食べずに戻ってきた人もいた?)
 夕方、浜の風景をデジカメで撮っていたら、向かいの飯田さんに「随分、趣味が広いじゃねぇか。」と声をかけられました。以前、バイクを磨いている所も見ているので、「暇な野郎だ!」と思ったのでしょう。それにしても、地元の男衆(飯田さんは、3人しか残っていない漁師の一人です)に、向こうから声をかけられたのは初めてでした。
 「みんな、よそ者に、警戒心と興味を持ってみているんだなぁ。」と思いながら、小一時間つきあいました。
 いろいろ考えさせられた、先週の日曜日でした。そして、1月も早21日。あっという間に3週間が過ぎました。昨年の今ごろは、悶々とした日々を送っていたのですが、今年は少々平和ボケ?考えることから、逃げている自分を感じます。でも、そろそろそれも許されない状況が...まぁ、そういう外力が働かないと、人間なかなか動かないものですね。(というわけで、その外力については、また後日)